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2016年01月29日

京成赤電回顧3300形後編





今回は京成赤電3300形の晩年と廃車について振り返ってみましょう。

まず、2003年(平成15年)1月23日に京成大久保〜実籾駅間の大久保5号踏切で発生した踏切事故により、3300形2次車成田側の3329がワゴン車(マツダボンゴフレンディ)と衝突のうえ脱線し損傷したため、3329-3330のユニットが廃車となりました。

📷在りし日の3300形3329/2001-03/京成成田駅



これは赤電では唯一の事故による廃車で、京成の車両全体でもきわめてめずらしいのではないかと思われ、まだまだ使用できる車両だったのにと思うと当時残念で仕方なかったものです。

2006年(平成18年)になると、元3200形で北総鉄道にリースされていた7250形の代替として、1次車の3305-3308および3313-3316が7250形と同様の北総仕様に変更のうえ7260形7261-7264および7265-7268として同年3月にリースされました。

📷北総鉄道7260形/2006-04-20/東松戸駅/画像提供:レッドラインさん





このリースされた8両のうち先頭に出る7261・7268(京成時代番号3305・3316)の2両について、リース時に自動列車停止装置ATSのデジタル化(C-ATS)が施工され、その後京成3300形先頭車のATSも順次更新され、2006年9月に全先頭車の工事が完了しています。

2007年(平成19年)には3300形を4両編成で運用することになり、2次車で更新時に6連化のため乗務員室を撤去したユニットの3317-3318・3321-3322・3325-3326・3331-3332・3335-3336・3339-3340合計12両が、2007年11月から翌2008年3月にかけて廃車されました。

なお、この廃車により3300系は4連8本に組み直されましたが、そのうち2次車5本については以下のように車号順ではないユニット同士での組成となっています。

3301-3302+3303-3304

3309-3310+3311-3312

3341-3342+3319-3320

3345-3346+3323-3324

3349-3350+3327-3328

3333-3334+3343-3344

3337-3338+3347-3348

3353-3354+3355-3356

2008年度からしばらくは成田スカイアクセス線開業に伴う新造車両の大量導入により車両の置き換えはなされず、3300形に関しては2008年4月から2013年2月まで廃車は出ておりません。

その間、2008年8月1日から9月17日にかけて、映画「男はつらいよ」シリーズの開始から40周年を記念し、3320編成(3341-3342+3319-3320)が葛飾観光PR電車として、実写の車寅次郎などが貼付されたラッピング編成となっています。

2009年(平成21年)6月30日には3356編成(3353-3354+3355-3356)が青電塗色にリバイバルされ、同日に会社創立100周年記念臨時列車(特急金町行)として運転されました。

📷京成3356以下4連/2013-02-16/千葉中央駅



また、同年9月には3324編成(3345-3346+3323-3324)が初代赤電塗色に、3309-3310+3311-3312がファイアーオレンジ塗色にリバイバルされています。

📷京成3324ほか/2013-03-16/京成金町駅



📷京成3312以下4連/2013-03-23/京成津田沼駅



さらに2010年(平成22年)7月5日より、葛飾区観光PR電車として3320編成に車寅次郎などのイラストが描かれた「男はつらいよ」ラッピング、3348編成(3337-3338+3347-3348)に両津勘吉などが描かれた「こちら葛飾区亀有公園前派出所」ラッピングが貼付されました。

2012年度から新3000形の増備が再開されたのに伴い3300形が廃車されることになり、まず2013年(平成25年)2月15日に「男はつらいよ」ラッピングの3320編成、同年2月18日には青電塗色の3356編成が除籍されています。

続いて初代赤電塗色の3324編成が同年3月20日に実施された「さよならリバイバルカラー赤電」の運転をもって引退となり、さらに3月24日にはファイアーオレンジ塗色の3312編成が廃車され、リバイバルカラー編成の3本すべてが2012年度中に消滅しました。

翌2013年度には2014年3月3日の最終運用をもって3328編成(3349-3350+3327-3328)と3348編成(3337-3338+3347-3348)の2本が廃車となっています。

それにより3300形はトップナンバーを含んだ3304編成(3301-3302+3303-3304)とゾロ目を含んだ3344編成(3333-3334+3343-3344)を残すのみとなりましたが、その2本も新3000形に追われ2015年2月28日に両編成を連結し8連で運転された臨時特急「成田山号」がラストランとなり、京成3300形は形式消滅となりました。

また、北総鉄道にリースされていた7260形も同年3月22日のさよなら運転をもって引退となり、ついに京成赤電は静態保存車の3000形3004を除き全廃となり姿を消しています。

というわけで、時間がかかりましたが京成赤電の全形式について簡単に振り返ってみました。

長きに渡り京成の主力として活躍し、管理人の出生以降いつの時代にも大変お世話になった258両すべての車両にあらためて感謝しつつ、これにて結びとします。

今までご覧いただきありがとうございました。
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2016年01月15日

京成赤電回顧3300形中編





今回は京成赤電3300形の更新工事や塗色変更などについて振り返ってみたいと思います。




3300形の更新工事は、1989年(平成元年)6月から1992年4月にかけて行われました。

工事の内容は基本的に3200形とほぼ同様でしたが、3300形は更新前に冷房化や行先種別幕の設置が行われていたため、3100形までの更新のように車体内外や機器類の若返りがメインでした。(イラスト1・2)

3200形更新車との外観上の相違点は、新しいものに交換された前面貫通扉の窓と種別幕ガラスの支持方式が黒色Hゴムから金具押さえ式になったことで、それにより若干近代的な印象を受けたものです。

また、1次車の3301と3304を除く3300形すべての先頭車で、京急線乗り入れ対策として前後台車が入れ替えられ、先頭台車が主電動機付となりました。

そのほか、電子警笛および抑圧ブレーキ装置の本格採用や、3300形全車が更新と同時だったかどうかは不明ながら自動扉選択開閉装置の設置が行われたことも3200形の更新工事と異なる点となっています。

なお、1次車については更新前の行先種別幕設置時にも前面の貫通扉が外側に出っ張りのある種別幕付のものに取り換えられていますが、更新工事により外側がフラットなタイプの貫通扉に再度交換され、更新前の種別幕付貫通扉は赤電の3050形に流用されました。

特筆すべきは1次車の3313-3316が更新と同時にクロスシート試験車とされたことでしょう。

以下、更新されたばかりの3315-3316の画像です。
















残念ながらこの2両の画像しかありませんが、試験車というだけにシートのレイアウトは4両それぞれ異なっており、またクロスシートが設置された部分のスタンションポールは撤去されていました。

一方、2次車については3200形6M車3221〜3280と同じく更新により6両編成化され、3317・3321・3325・3332・3336・3340合計6両は乗務員室を撤去のうえ中間車となりました。

ただし3200形のように補助電源装置を静止型インバータ(SIV)にしたり、パンタグラフを集約したりといった大規模な4両ユニット化工事はなされず、相変わらず2両ユニットのまま単に上記車両の乗務員室を撤去しただけの6両組成にとどまっています。

また、更新前の2次車の特徴だった前面窓上の小さな手すりが撤去されたこともあり、更新後の1次車と2次車の外観上における差は台車を除き完全になくなったと言えるでしょう。

更新工事完了後の動きについては、まず1992年(平成4年)8月にまだ未対応だった1次車3301と3304先頭車の前後台車の入れ替えが行われました。

1993年(平成5年)8月からは他の赤電各形式同様グレー基調の塗色への変更が開始され、3319-3320・3321-3322を皮切りとして、およそ2年後となる1995年4月の3313-3316および3353-3356をもって完了しています。(イラスト3・4)

そのほか、3313-3316で試用されたクロスシートは結局不採用と決定され、1995年4月にロングシートに戻されましたが、今度は個別シート試験車となりました。

その際、クロスシート試用時に撤去されていた部分のスタンションポールが再び設置されています。

試用された淡いピンク色の個別シートと同様のものは、のちに3700形の一部や3500形更新車での採用に至ったものの、背もたれの凸凹が極端すぎることや材質が硬すぎること、さらに汚れが目立つことが難点でした。

そこで、2001年(平成13年)8月に同じく3313-3316を使って今度は紫系でもっと柔らかく座り心地のいいバケットシートが試用され、それと同様のものがその後の京成通勤車両の標準座席となっています。

なお、3313-3316にその紫系のバケットシートが採用された際、袖仕切りとそれに隣接して座席と同じモケット張りのアームレストも設置され、ロングシートとしてはかなりゆったりとした贅沢な印象でした。

また、それに伴いすべてのスタンションポールが撤去されています。

このように更新後の3313-3316は座席方式の試験車という印象が強かった同時に、京成赤電全体で座席定員が明確化されたシートや袖仕切りが設置されたのは、この編成が唯一でした。

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そのほか、2001年3月には3300形全車の側面に京成グループマークの貼り付けが行われています。
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2015年12月04日

京成赤電回顧3300形前編





今回は京成赤電3300形の登場時から更新前までについて振り返ってみましょう。

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o100717-01


京成3300形は、1968年(昭和43年)から1972年にかけて計54両が新造されました。

1968年11月に登場した3301〜3316の1次車16両は、ほとんどが3200形6M両開き扉車と同じ内容で、3200形3300番台といっても差し支えのない車両となっており、車両番号を見なければ、外観上ではまず見分けることができませんでした。(イラスト1)

ただ、車内では座席袖に荷棚と一体式のスタンションポールが設置されたことが3200形との大きな違いで、乗車すれば3300形であることが一目でわかったものです。

また、3200形3290番台もそうでしたが、ユニット間に密着自動連結器が本格的に採用されたことで、2両単位での分割が可能になり、6両編成も組成できるようになりました。

1969年(昭和44年)12月より新造された2次車では車両前面と側面上部に行先種別幕が新設されたことで、ようやく新形式らしい特徴を備えることになりました。(イラスト6)

また、側扉もステンレス製で窓ガラスの支持方式が金具押さえになったことで、かなり近代的な外観となりましたが、その反面台車の枕バネが金属バネとなったことは時代に逆行した流れとしか言いようがないでしょう。

その理由は6両編成を増やすために同じく金属バネ台車を履く3000形から3100形1次車までの2両固定編成と連結可能な4両編成が必要になったためとされていますが、扉数の違いや種別方向幕の有無によりアンバランスな編成になってしまうのは間違いありません。

実際に連結された例もほとんどなかったものと思われるだけに、まったく無意味だったという印象で、そのために京成は少なくとも関東の大手私鉄で最後まで金属バネ台車の車両が残ることにもなった次第です。

そのほか、細かな点では前面窓上の中央寄りの左右それぞれに小さな手すりが設置され、これは同じく更新前から行先種別幕が設置されていた一部の3150形との識別点にもなっていました。

1972年(昭和47年)3月に竣工した3353-3356をもって3300形、ならびに京成赤電の製造が終了し、また同編成は私鉄最後の汽車会社製造車両として貴重な存在でもあったものです。

なお、3351-3352は当初から欠番となっており、その相方ユニットである3349-3350は他の3300形2次車4両と組成され6両編成として運用されていました。

その後の変更点としては、他の赤電各形式と同様、運行番号表示器の大型化が行われています。(イラスト2・7)

また、1980年(昭和55年)前後には2次車の行先種別幕がブルー地の幕に変更されたほか、1980年8月から翌81年12月にかけては1次車・2次車ともにファイアーオレンジ基調の塗色への変更が行われました。(イラスト3・8)

1980年代に入り、京成ではその当時大手私鉄の中で最低だった車両の冷房化率を一気に上げるため、3200形全車の更新工事完了を待たずして、3300形の冷房化単独工事を行うことになり、まず1984年(昭和59年)6月に2次車の3345〜3350より施工され、1986年4月の3337-3340をもって2次車すべての冷房化が完了しています。(イラスト9)



続いて1986年6月からは1次車の冷房化単独工事が行われ、3309-3312をはじめとして、翌87年5月の3301-3304をもって1次車の冷房化が完了しました。

冷房化後の2次車についてはそれほど違和感がなかったものの、1次車に関しては屋根上に冷房装置がありながら種別方向幕がないという、京成の通勤車両では唯一ともいえるそのスタイルが、当時きわめて特異な印象を受けたものです。(イラスト4)

また、1次車・2次車ともに車内側面の化粧板などは経年により古びているにもかかわらず、天井だけが真新しいというのは、どうも不自然でした。

さらに管理人自身はどの編成か未確認ながら、一説によれば3313-3316という話がありますが、黒色Hゴムだった1次車の側扉窓ガラスの支持方式が、片開き扉車と同様の太枠金具押さえ方式に変更されている編成を、冷房化工事と同時期に見かけた記憶があります。

両開き扉の窓に太枠金具押さえ方式が採用されたのは唯一のものだったため、これもまた違和感がありました。

その後1次車については、やはり更新工事よりも前となる1987年(昭和62年)10月から翌88年7月にかけて行先種別幕取付の単独工事も行われたため、前記の特異なスタイルを見れた期間はごくわずかだったと言えるでしょう。(イラスト5)

この行先種別幕取付工事により、前面の貫通扉がステンレス製で、扉の面に対し出っ張りのある種別幕付のものに取り換えられています。

前面の種別表示方式は異なっていたものの、1次車への行先種別幕取付が行われた時点で、1次車と2次車のスタイルがかなり近づく結果になったことは間違いありません。(イラスト5と9)

ちなみに更新前の2次車は、前面上部にある表示幕内でも側面の表示幕と同じく種別と行先が一緒に表示されていたものの、それだけでは小さくてわかりにくいため、前面貫通扉下部でも板方式による種別表示がなされていました。

それは更新前の3150形行先種別幕設置車や3500形でも同様です。
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2015年11月20日

京成赤電回顧3200形後編





今回は京成赤電3200形の更新工事後から廃車までについて振り返ってみましょう。

1989年(平成元年)6月をもって88両全車の更新工事を完了した3200形ですが、1990年代に入るとイメージアップのため京成赤電全車の塗色を変更することになり、まずは4種類のカラーを試すために3200形8M車が選ばれ、トップナンバーの3201-3204を除く4本が1991年12月よりそれぞれ以下のような色となりました。

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イラスト1:3205-3208 グリーン系

イラスト2:3209-3212 ホワイト系

イラスト3:3213-3216 ブルー系

イラスト4:3217-3220 グレー系

試験の結果、基本カラーを3217-3220のものよりもやや薄めのグレーとすることに決定し、さらにホワイト基調だった3209-3212の塗色を再度決定されたグレー基調のカラーに変更のうえ、今度は帯の配色が試されています。

その際、3700形に似たイメージも試すためイラスト5のように前面がブラックフェイス化されたりもしました。

こうして1991年(平成3年)12月〜1993年2月にかけて行われた塗色試験により、最終的には以下のイラスト6のカラーに落ち着き、その後1995年2月までに3200形全車が新塗色となっています。

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そのほかの更新工事後のおもな変更点としては、まず1992年(平成4年)8月〜1995年2月にかけて、京急線乗り入れ対策として6M車の3221〜3280において先頭車両の前後台車が入れ替えられ、先頭台車を主電動機付とする工事が行われました。

それに伴い、先頭台車上の床に点検蓋も新設されています。

また、自動扉選択開閉装置や電子ホーンの取り付けも行われたほか、2001年(平成13年)3月には全車側面に京成グループマークの貼り付けが実施されました。

なお、更新工事後の3200形の他形式との混結については、3150形の記事でも触れたように、VVVF化された3291-3294が、3150形3187-3188ユニットと連結され6連で営業運転が行われた以外は確認しておりません。

というわけで、京成赤電の中で合計88両という最大勢力を誇った3200形も2002年度末より廃車が開始され、まずは2003年3月中に初期の8M車20両のうち14両が一気に廃車されました。

対象車両は3205-3208・3211〜3220となっています。

その後も3000形の増備に伴い2003年(平成15年)11月には6M車としては初めて3271-3272の2両が廃車されたのに続き、翌12月には3221〜3224・3233〜3236の8両が京成での役目を終えて北総7050形の代替として同社にリースされ、7250形7251〜7258とされました。

2004年1月には3201-3204と3209-3210の6両が廃車され、これをもって赤電の8M車(オール電動車)が完全消滅しています。

o071129-01.jpgクリックで拡大!(レッドラインさん提供)

また、同じく1月中には3273-3274と、元特急車で京成初のVVVF車でもあった3291-3294が廃車となりました。

この3291-3294の引退については機器の故障が多かったからとされていますが、車籍は3200形の中でもっとも新しかったので個人的にはこれほど早期に除籍されてしまうとはかなり意外だったと同時に、VVVF試験車ということで特異な面も多かった車両だけに、とても残念でならなかったものです。




それ以降も次々と増備される3000形に追われて6M車の淘汰が進み、北総にリースされていた7250形も、2005年度末に3300形1次車が北総7260形としてリースされたのに伴い、京成に返却後すぐに廃車となりました。

それにより2006年度まで残った3200形は3261-3262+3237〜3240および3225〜3228+3263-3264の6両2本と、元特急車の3295-3298のみとなっています。

そのうち3295-3298は2007年(平成19年)1月28日に臨時のリバイバル開運号として運行するため初期の赤電塗色に復元されました。




ただ3050形3059-3062が同色に復元されたときも同様であったように、それは引退が近いことを意味しているものでもあり、2007年3月末にリバイバルカラーのまま廃車となっています。

また、同時期に前述の6両2本のうち、それぞれの4両ユニット側も廃車となり、残った2両ユニット側の3261-3262と3263-3264が組成され、6M車としてはかなり久しぶりに更新工事前と同じ基本的な4両編成として運行されたとともに、この4両が3200形として最後まで生き残る結果となりました。

o071115-02.jpgクリックで拡大!(レッドラインさん提供)

しかし、かろうじて2007年度に入ってからもしばらく活躍できたながら、年度末まで残ることはなく、同年11月14日付でついに廃車されてしまい、これをもって3200形は形式消滅となった次第です。
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2015年10月23日

京成赤電回顧3200形中編





今回は京成赤電3200形の更新、および冷房改造について振り返ってみましょう。

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3200形の更新工事は1985年(昭和60年)7月から1989年(平成元年)6月にかけて施工され、3150形と同じく、全車が更新と同時に冷房化も行われました。

更新・冷改工事は製造の古い8M車3201〜3220の20両から行われ、前面はイラスト1のように3150形更新車と同様、3600形に似たイメージとされましたが、3150形の前面種別表示が内臓タイプの板方式だったのに対し、3200形では3600形と同じく電動幕とされています。

ただ、一番最初に更新されたイラスト1の3213-3216については、貫通扉の窓と種別表示器が3600形並みに高いタイプのものとされましたが、バランスが悪いこともあり、次に更新された3201-3204からはイラスト2のようなその後の標準となる貫通扉とされ、3213-3216の貫通扉も間もなく標準タイプに交換されたので、もし初期の3213あるいは3216の前面の記録が残っているとしたら、それはかなりレアだと言えるでしょう。

そのほか、8M車は更新後も4両編成のままでしたが、ユニット間の連結器交換と貫通路幅の変更により2両分割が可能となり、自由に編成が組めるようになったことも3150形の更新車と同様です。

また、車内の化粧板も3150形更新車と同じく、更新前の3500形3517以降や3600形と同色である黄色系統のものに張り替えられましたが、8M車については側扉がアルミ製とされ、なおかつ内側が化粧板と同色に塗装されていたため、内装では更新前以上に6M車との識別が容易となりました。

この側扉窓の支持方式については更新前の黒色Hゴムから、3150形更新車や3300形2次車以降と同じタイプの金具押さえ方式に変更されています。

なお、これは一部を除く赤電全形式の冷改車に言えることですが、冷房装置の設置にともない補助電源装置(MG)も大容量化され、3500形や東武8000系冷房車と同じ音を発するようになりました。

1986年(昭和61年)7月からは6M車3221-3280の更新・冷改工事が開始されましたが、こちらは両数がちょうど60両ということで、6両編成10本とされることになりました。

6両編成といっても完全な固定ではなく、2両ユニットと4両ユニットを組み合わせたもので、4両ユニットの片側となる合計10両(3221・3228・3229・3236・3237・3244・3245・3252・3253・3260)の乗務員室が撤去されています。

また、4両ユニット側のうち乗務員室を残したM2車隣のM1´車にパンタグラフが2基搭載されたのに対し、乗務員室を撤去したM2´車隣のM1´車のパンタグラフは取り除かれました。

これにともない、4両ユニットと組み合される2両ユニット連結面側の貫通路幅変更と連結器交換が行われています。

そのほか、2両ユニット側のM2車の補助電源装置は8M車と同じくMGのまま大容量化されましたが、4両ユニット側は4両分の補助電源をまとめて給電することになったため、さらに大容量のものが必要となり、すでに3600形で導入実績があった静止型インバータ(SIV)が乗務員室を残したM2車に搭載されました。

乗務員室を撤去したM2´車のMGは取り除かれています。

従ってこの更新後の3200形6M車では、ひとつの編成で3500形と同じMG音と、3600形と同じSIV音を同時に聞くことができる車両となりました。

ちなみにSIVが発する音というのは、まるでシンセサイザーで合成したかのような、MGの音よりも明らかに進化したと思えるタイプのものとなっています。

そのほか、6M車の更新では側扉がステンレス製で無塗装のものとされたことが8M車との内装における大きな違いでした。

また、細かい点では3268に電子警笛が試験的に取り付けられたり、6M試作車である3221と3224の先頭台車上の床に切られてあった点検蓋が撤去されたりしています。

1988年(昭和63年)5月に更新された片開き扉を持つ元特急車の3291-3294は、VVVFインバータ制御の試験車として登場しました。

主要機器類は中間車に集約され、GTO素子のVVVFインバータ制御装置を3292・3293に各1台搭載のうえ、ひとつの制御装置で直流主電動機から交換された三相交流かご型誘導電動機4台をコントロールする1C4M制御とされ、これはクハ化された先頭車の存在とともに赤電では唯一のものでした。

さらに制動装置も回生ブレーキ化されましたが、電気指令式(MBS系)ではない回生ブレーキ付の制動装置(HSC-R)については京成で唯一のものだったと思います。

また、通勤型車両で片開き扉を持つVVVF車という点は全国的にみてもきわめてめずらしいものだったと言えることでしょう。

そのほか、3292にパンタグラフ2基を集約搭載し、3293のパンタグラフは撤去されました。

補助電源装置は両開き扉の6M車4両側ユニットと同じく4両すべての給電を行うため、3291にSIVが搭載されましたが、予備用として3294には更新前のMGがそのまま残されています。

側扉は片開きのまま、3150形と同じステンレスで窓の支持が金具押さえ方式のものに交換されました。

外観上ではイラスト3のように前照灯と尾灯が角型一体でケーシング化されたものとされ、京成初の角型ライトの採用となったと同時に、これはVVVF試験車のシンボルだったとも言えるでしょう。

なお、この3291-3294は新造当初から2両分割が可能な4両編成でしたが、更新により完全なる4両固定編成とされたため、2両分割が不可能となっています。

翌1989年の4月以降に更新された同じく元特急車の3295-3298については、8M車とほぼ同じ内容の工事が行われましたが、側扉はやはり片開きのままで、3291-3294と同じステンレス製のものに交換されました。

ちなみに3200形の更新からは側窓が外バメ式のユニット窓に変更され、3290番台の片開き扉車でもそれは同様でしたが、そのユニット窓が片開き扉車では戸袋窓とのサイズ差の関係でバランスを欠き、近代的ではありながらも更新前より若干不格好になってしまったという印象を受けたものです。

同時にそれは3150形までの片開き扉車との側面における識別が、更新でより容易になったと言えるのではないかと思います。
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2015年10月09日

京成赤電回顧3200形前編





今回は京成赤電3200形の登場時から更新前までについて振り返ってみたいと思います。

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京成3200形は、1964年(昭和39年)10月から1967年12月までの間に4両編成24本の計88両が新造されました。

まず、1964年10月〜11月に1次車として3201〜3220が登場しましたが、3150形と比べると側扉が両開きになった点がもっとも大きな変更点となり、扉幅も100mm拡幅されています。

また、それまで丸みを帯びていた前面形状が3平面突き合わせの折妻構造となったほか、運転台床が当初より100mm扛上され、それにともなって前面3枚の窓下辺も100mm上がりました。

さらに前面裾のアンチクライマーも当初から大型3枚歯となっています。(イラスト1)

編成は3150形と変わらず4両固定編成でしたが、上野側2両ユニットのM1とM2が逆配置となり、制御機器とパンタグラフが成田側のユニットとともに中間車装備に揃えられました。

そのほか、駆動装置が2種類ある点も3150形までと変わらないものの、WNカルダン車が履く住友金属製、TDカルダン車が履く汽車会社製ともに、3100形2次車や3150形の空気バネ台車とは形状が大幅に変更されています。

この3201〜3220まではオール電動車、いわゆる8M車である点も3150形までと同じでしたが、同じく1次車として1964年11月に増備された3221-3224においては、試験的に両先頭車の運転台側の台車を付随台車とし、実質3M1T相当のMT比となりましたが、主電動機出力を従来の75kWから100kWに増強したので編成全体としての出力は変わりませんでした。(イラスト2)

この方式はひとつの制御器で6個の主電動機をコントロールしていたことから京成社内では6M車として区別され、そうした理由は編成当たりの主電動機個数を減らして経済性に重点をおいたことのほか、踏切障害事故の際に主電動機への損傷を軽減させる目的もあったとされています。

また、この3221-3224より従来はV型気筒ベルト式だった空気圧縮機がロータリー式に変更されました。

これは身近なところでは京急旧1000形の空気圧縮機と同様の、唸るような独特の音をたてていた記憶があります。

翌1965年11月に2次車として増備された3225〜3240より、6M方式を本格的に採用した量産車となり、その方式は3300形を経て3500形まで踏襲されました。

また、1次車の3221-3224は6M車ながら8M車と同じように主電動機のない先頭台車上の床にも点検蓋がありましたが、2次車以降では先頭台車上の点検蓋はなしとされています。

1966年(昭和41年)9月〜10月にかけて増備された3次車の3241〜3264では、それまで金属製だった屋根上のベンチレーターが台形の形状をしたFRP製のものに変わりました。(イラスト3)

翌1967年11月に増備された4次車の3265〜3280では、3次車までの中間の貫通路がすべて1200mm広幅で引戸もなかったのに対し、ユニット間の連結部を700mm幅の貫通路とし、上野側M2車の成田寄りに片開き式の引戸が設置されましたが、連結器については永久棒連結器のままであったため、相変わらず2両分割が不可能な4両固定編成のままでした。

さらに、この4次車より網棚が従来の網目状からパイプ状のものに変更されたり、空気圧縮機もV型気筒ベルト式に戻されたりしたほか、当初から列車無線を搭載し、ヒーターの強化も行われています。(イラスト4)

その翌月となる1968年12月にも4次車として3291〜3298の4連2本が増備されましたが、この8両は引退した1600形の代替で特急開運号として使用するため、ふたたび3150形までと同じ片開き式の側扉が採用され、車内の各扉間にボックス式の固定クロスシートを設置して登場しました。(イラスト5)

基本的には、1963年(昭和38年)11月に同じく特急開運号向けとして竣工していた3150形3191〜3194に似ていましたが、片開き扉とクロスシート以外は3200形6M車と同一の仕様だったと言えるでしょう。

そのほか、3292と3296の上野寄りにWCと物置が設置されたのに加え、編成中間の連結器を密着自動連結器として、3150形以降の4両編成が基本となった車両としては初めて2両分割が可能となりました。

そのため、3150形特急車と合わせて開運号の6両編成運転も可能となっています。

なお、3295〜3298の4両は京成車両の中で最後の帝国車両製でした。

また、車両番号が3280から3291に飛んだため、3281〜3290は欠番となり存在しません。

なお、この特急車3290番台は3150形3190番台とともに開運号のみならず一般の普通運用にも充当されることがあり、たまたま乗れたときは当時まだ幼少だった管理人もラッキーだと思ったものです。

駅でやってきた普通にちょうど特急車が充当されていて、それに乗ってから東中山で優等列車を退避するので乗り換えたところ、その優等に充当されていたのもまた特急車だったという経験もあります。

その後、更新工事までのおもな改造・変更点としては、まず(1968)昭和43年に1〜3次車の先頭車両に列車無線の取り付けが行われました。

1973年(昭和48年)から翌74年にかけては、特急車3291〜3298のクロスシートのロングシート化や、3292・3296のWCと物置の撤去といった通勤車化改造が行われています。

同時にこの特急車3290番台については3150形までの片開き扉車と同じく、側扉の窓の支持方式が黒色Hゴムから太枠金具押さえ方式に変更されましたが、どういうわけか3293−3294の2両はこの支持方式変更が昭和50年以降と遅れました。

片開き車の支持方式が金具ばかりになる中、3293−3294のHゴムはかなりレアな存在となり、たまたま乗れたときは嬉しかったものです。

そのほか、3200形全車について、昭和40年代中に運行番号表示器の大型化が行われました。(イラスト6)

1980年(昭和55年)になると、他の赤電各形式と同様に3200形もファイアーオレンジ基調の塗色への変更が行われ、同年2月の3277-3288および3295-3298をはじめに、翌81年10月の3253-3256をもって88両全車の変更を完了しています。(イラスト7)

また、1980年代前半には3221-3264が装備していたロータリー式の空気圧縮機が、他車と同じV型気筒ベルト式に交換されました。

なお、更新前の3200形の他形式との混結は、3100形の記事でも述べたように、3200形4連と3100形2連を連結した6両編成が、優等運用でよく見られたものです。
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2015年09月11日

京成赤電回顧3150形後編





今回は京成赤電3150形の更新時から再期までについて振り返ってみましょう。

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3100形までの更新工事は若返りをはかるのみで、内外ともに見た目上の変化はあまりなかったのに対し、1983年(昭和58年)3月から1985年6月まで、3167-3170を皮切りに実施された3150形の更新はかなり大がかりなものになりました。

前面は前年に登場した最新鋭車両3600形とほぼ同じイメージとされ、かなり近代的なスタイルへと改造されたことには当時驚かされたものです。(イラスト4)

また、更新前はほぼ半数の車両にしかなかった行先種別幕が全車に設置され、とくに前面上部中央の表示幕は3600形と同じように行先のみを表示するタイプになって見やすくなりました。

前面の種別表示については板式のものが踏襲されながら、更新前のように外部ではなく、乗務員室内部で差し替えができる内臓タイプに変更されています。

内装では3100形の更新ではごく一部だったステンレス製の側扉を全車に採用したほか、化粧板を3500形2次車以降や3600形と同じイエロー系統のものに張り替えたり、極力無塗装化が進められたりしたことにより、イメージが大きく変わりました。

そして3150形更新工事の目玉は、なんといっても冷房改造が同時に行われたことでしょう。

赤電で夏場に涼しい思いができるというのは、本当に画期的なことでした。

なお、竣工したばかりの3500形や3600形で車内に入ったときに漂っていた新車特有のにおいが、更新されたばかりの3150形に乗ったときも感じられたので、それは新車というよりも新しい冷房装置が放っているにおいであることがはじめてわかったものです。

あと3150形以前の車両は、3200形以降の車両よりも側壁が薄いため、冷房改造にあたり側扉脇の袖部に補強柱が新設されていました。

それは3100形以前の冷房改造車も同様だったながら、3150形のものに比べると若干小型化されたものだったと記憶しています。

さらに更新前の3150形は2両分割不可能な4両固定編成だったことはすでに述べましたが、更新時にユニット間の連結器を棒連結器から密着自動連結器に変更し、貫通路も狭幅として2両分割可能としたため、形式内で6連や8連が自由に組めるようになり、おのずと優等運用に充当される機会も増えました。

更新後についても3150形が他形式と混結された例はあまりなかったと思いますが、個人的には1989年頃に3187-3188の2両ユニットが、更新時にVVVF化された3200形3291-3294と混結されているのは確認しており、乗車した記憶もあります。

あと更新後の改良として抑圧ブレーキ装置や自動扉選択開閉装置などが新設されました。

その後1993年(平成5年)6月から2年間で、赤電他形式と同様グレー基調の塗色への変更が行われています。(イラスト5)

3150形全車の塗色変更が完了して間もない1995年10月に、3163-3166・3167-3170の4両編成2本8両がイラスト7のように帯を青系の濃淡色に変更のうえ、1次車として北総へリースされました。

その際に改番も行われ、7050形7051-7054・7055-7058となっています。

それによりすでに活躍していた元京急1000形の7150形7161〜7168が廃車されました。

1996年(平成8年)4月には、3157-3158が3100形3121-3122と組み、他形式との混結となって千葉急行にリースされました。

また、翌1997年6月には、すでに千葉急行にリースされていた3100形3125-3128の廃車にともない、その代替として3151-3154がリースされています。

これらの車両は、京成の塗色からイラスト6のように帯の色が逆に塗り替えられたほか、車体側面のKeisei切り抜き文字を撤去し、妻部に近い側面に「千葉急行」の文字がペンキで描かれていました。

1998年(平成10年)2月には北総へ2次車として3171-3174・3183-3186がリースされ、7061-7064・7065-7068に改番されました。

この2次車の前面の帯の色は、イラスト8のように上下とも明るい青色とされています。

その代替として7150形7151〜7158が廃車となり、北総の車両から元京急1000形が消滅しました。

翌3月には京成車として活躍していた3155−3156と、千葉急行にリースされていた3157-3158の4両が廃車となり、3100形3121-3122がまだ残っていた中で、3150形として初めて解体されています。

なお、3157-3158の廃車に伴って3161-3162が京成色のまま千葉急行にリースされ、同じく3100形3121-3122と組まれたので、帯色が異なる混色編成となりました。

さらに同年9月に北総リースの1次車7055-7058(京成時代番号3167−3170)の廃車に伴い、その代替として3175-3178が7071-7074に改番のうえ3次車としてリースされましたが、この編成は前面帯が1次車と同じ色となっています。

同年10月1日には千葉急行が解散して京成に引き継がれ、千葉急行へのリース車は必然的に京成に戻されました。

さらに3121-3122は11月いっぱいでついに廃車となり、残った3161-3162は3159-3160と組成され、本来の編成に戻り京成で活躍を続けました。

2000年(平成12年)2月には元特急車の3191-3194が廃車され、リースされることなくすぐに解体されています。

翌3月には北総リースの2次車7061-7064・7065-7068(京成時代番号3171-3174・3183-3186)の廃車により、代替として3179-3182・3187-3190が4次車として、7081-7084・7085-7088に改番のうえ1・3次車と同じ前面帯でリースされ、この時点で異彩を放っていた2次車の前面帯が消滅し、全車統一されました。

翌2001年4月には、京成で最後まで残っていた3159-3162が廃車され、この時点で京成3150形は形式消滅となっています。

この編成は3150形としては唯一、京成グループのCIが貼り付けられた車両でもありましたが、翌5月に5次車として北総へリースされて7091-7094となり、7051-7054+7091-7094という8連が組まれました。

代わりに、それ以前に7051-7054と組んでいた7071-7074(京成時代番号3175−3178)が廃車となっています。

2003年(平成15年)2月になると北総に3700形3801-3808がリースされ、その代替として7051-7054(京成時代番号3163-3166)および7091-7094(京成時代番号3159-3162)が廃車のうえ解体されました。

その後北総リース車として最後まで残った7081-7084・7085-7088(京成時代番号3179-3182・3187-3190)の8両も、同年12月に3200形3221-3224と3233-3236が7250形7251-7258に改番の上リースされたことにより、12月23日のさよなら運転をもって京成に返却のうえ解体され、リースされていた元3150形も全廃となったのです。

それは同時に片開き扉を持つ8M車の消滅でもありました。

なお、この3150形で廃車となった車両の冷房装置の中には、長野電鉄3500系の冷房化の際に再利用されたものもあります。
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2015年08月14日

京成赤電回顧3150形前編





今回は京成赤電3150形の登場時から更新前までについて振り返ってみましょう。

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京成3150形は、1963年(昭和38年)2月から11月までの間に、4両編成11本44両が新造されました。

京成の車両として初の4両固定編成となり、運転台や乗務員室のない中間車も京成の通勤車両としては初めてのものだったと思います。

前面形態は3100形とあまり変わらないものの、幌が埋込式から着脱式となり、幌座にステンレス製の飾り帯が取り付けられたことだけでも、3100形までよりも新しい車両という感じがしたものです。

また、アンチクライマーも若干大型化されました。(イラスト1)

屋根上についても、3100形までの大きな特徴だったモニター通風器をやめ、角型ベンチレーターを設置した普通屋根になっています。

室内では当初から蛍光灯カバーが廃止され、蛍光灯の数も若干減らされるなど、車両内外ともに合理的な設計となった分、見た目の豪華さは薄れ標準的になったと言えるかもしれません。

台車についてはTDカルダンの汽車製造製、WNカルダンの住友金属工業製ともに3100形2次車とほとんど同じタイプのものが踏襲されています。

なお、3150形44両のうち最後に増備された3191−3194は、それまで特急車だった1500形の通勤車化に伴う代替として製造され、外観や性能は他の3150形と同じながら、車内の各扉間にボックス式の固定クロスシートを設置した点が大きく異なっていました。

その後1968年(昭和43年)になると先頭車両に列車無線が取り付けられたり、翌1969年頃からは3151〜3190の側扉窓の支持方式が黒色Hゴムから太枠金具押さえ方式に改造されたりしています。

また、1968年に3187−3190の前面上部中央と側扉間幕板部に行先種別一体型表示幕が試験的に設置され、その直後に新造された3300形2次車にて同タイプの表示幕が本格的に採用されました。

翌1969年には3151-3170にも表示幕が波及し、3100形までの車両はもとより、両開き扉である3200形や3300形1次車よりも近代的な外観を持つようになったと同時に、現在では当たり前となっている側面で行先と種別が瞬時にわかるというのはかなり便利だったことに違いありません。(イラスト2)

ただ、試験による設置に何故3150形が選ばれたのか、また試験のあと3151-3170に設置したならば、どうして全車に採用しなかったのかが今でも謎のままで、京成のやることはよくわからない点が多いというのが正直なところです。

さらにそれらと同時期に奇数中間車成田寄りの貫通路に、ステンレス製で両開き式の引戸が設置されました。

京成赤電の広幅貫通路に扉が設置された例は他になく、これが唯一のものになると思われます。

そのほか、時期は不明なものの前面の運行番号表示器の大型化やワイパーの交換が行われました。

1972年(昭和47年)5月には特急車3191〜3194の通勤車化改造が行われロングシート化され、他の3150形では施工済みだった側扉の窓の支持方式変更も、やや遅れながらその際一緒に施工されています。

1980年(昭和55年)に入ると赤電他形式とともにファイアーオレンジ基調の塗色への変更が順次行われ、3150形は全車が更新前に塗り替えを完了しました。

同時に行先種別一体型表示幕付車の表示幕が白地に黒文字から青地に白文字に変更され、イラスト3のようになっています。

なお、更新前の3150形は完全な4両固定編成のため、2両単位での分割ができませんでした。

また、更新前の3100形の解説でも触れたように、6両を組成するための3100形2次車の相方として、3150形ほど相応しい車両はなかったのではないかと思うのですが、京成では当時何故か3200形にこだわっていたこともあり、個人的には特急車3190番台を除く更新前の3150形が他形式と混結されているのは見たことがありません。

従って、ほんの一時的に連結器を交換したり、狭幅と広幅の貫通路をつなぐことができるテーパー幌の使用により、3150形のみで6両を組成した事例もあったようですが、基本的には単独の4両編成による運転ばかりで、しかも優等運用に6両編成が増えてからは普通運用がほとんどだったと記憶しています。

ただし、特急車3190番台については、同じく特急車である3200形3290番台が登場して以降、そのうちの2両ユニットと連結した6両編成で運転されるのが基本でした。
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2015年07月31日

京成赤電回顧3100形後編





今回は京成赤電3100形の更新時から再期までについて振り返ってみたいと思います。

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1980年(昭和55年)に入ってから3000・3050形に引き続き3100形も更新工事が行われることになり、同年7月に竣工したトップナンバーの3101-3102を皮切りに1次車と2次車が同時に更新され、イラスト5のような前面形態となりました。

最終出場は1982年12月に竣工した3105〜3108で、この最後の4両は津田沼から宗吾車庫内に移転した大栄車輌の新工場にて更新が行われた最初の車両となっています。

更新により半数の乗務員室を撤去して2両分割可能な基本4両編成とされ、その他若返りのため細かい点もいろいろと改良されましたが、スタイル上は内外ともに更新前とそれほど変化がありませんでした。

ただ、前編で触れた更新前に塗色変更が行われた3105-3108・3121-3124・3133-3136以外の車両は、更新と同時に塗色も変更されています。

そのほか3103-3104・3133-3134の4両は、更新により側扉がステンレス製で、窓ガラスの支持も枠のない3150形更新車以降と同様の金具押さえ式のタイプのものに交換されましたが、全車の扉をそうしなかったのは、3121〜3124と同じく試用目的だったことが考えられます。

更新後は形式内、さらに1次車・2次車各グループ内で4連単独や6連が組まれることばかりで、後述する最晩年期の3150形との混結以外は、他形式と連結されているのを見たことがありません。

その後、車側灯の2灯化や、車内の吊り手が増設されたりした点は3000形や3050形と同様です。

また、戸閉保安装置、戸閉再開閉装置、抑圧ブレーキ装置、自動扉選択開閉装置も新設されました。

1987年(昭和62年)に入ると冷房化工事が行われ、最初に改造されたのは2次車の3121-3124でした。

冷房化と同時に行先・種別表示幕も設置されましたが、前照灯や尾灯の位置はそのままだったため、かつて更新前の3150形の一部に存在した行先・種別表示幕付の車両を若干彷彿させられたものです。(イラスト6)

そして1989年12月に改造された3109-3112をもって、3100形32両全車の冷房化が完了しました。

なお、側扉の小窓で異彩を放っていた3121-3124は、更新時も冷改時も扉はそのままでしたが、冷改から1年後ぐらいに同じくステンレス製で通常サイズの窓の扉に交換されてしまいました。

ただ窓の支持方式は他の京成車両には例のない細い金具枠の中に小さなゴムが入ったものだったと記憶しています。

冷改後は1次車・2次車各グループ内で4連単独や6連のほか、8連が組まれ優等列車として運用される機会も多くなりました。

1993年(平成5年)11月からはグレー基調の塗色への変更が行われ、上部左右に前照灯がある車両でこのニューカラーになったのは3100形のみでした。(イラスト7)

しかし、1次車の3109-3112・3113-3116は、ファイアーオレンジ色のまま1995年3月に廃車されています。

翌96年1月から3月にかけて3101-3104・3105-3108・3123-3124・3129-3132・3133-3136の計18両が、グレー基調の塗色車としては初めての廃車となり、1次車もすべて消滅し、2次車6両を残すのみとなりました。

そのうち1996年1月に2次車の3125-3128が3050形3071-3074の代替として千葉急行にリースされましたが、3050形までのリース車のようなブルー基調への塗色変更はされず、イラスト8のように帯の色を反転させただけとなっています。

そのほか、車体側面の「Keisei」の切り抜き文字を撤去し、妻部に近い側面に「千葉急行」の文字がペンキで描かれる程度の変更にとどまりました。

同年3月には3050形3067-3070の代替として3121-3122が3150形3157-3158と組成のうえリースされ、この時点で京成塗色の3100形は消滅しています。

その後1997年(平成9年)6月に3125-3128が京成に返却後廃車となりました。

1998年10月1日には千葉急行が解散して京成に引き継がれることになり、リースされていた3121-3122は3157-3158とともに京成に戻され、それ以降も塗色はそのままで車体に描かれていた千葉急行の文字だけ消して走り続けたことから、2年半ぶりに京成車としての3100形が復活したと言えるでしょう。

このように3100形の中で最後まで残った3121-3122ですが、それから2ヶ月後の12月に入ってから廃車され、京成3100形はついに形式消滅となりました。

なお、3121-3122は前記した側扉の小窓化や、更新直前の行商専用車としての使用、さらに3150形と混結され千葉急行へのリース、そして3150形からもすでに廃車が出ている中での延命と、特異な生涯を送った車両でした。
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2015年07月03日

京成赤電回顧3100形前編





今回は京成赤電3100形の登場時から更新前までについて振り返ってみたいと思います。

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京成3100形は、1960年(昭和35年)12月の都営地下鉄開業に合わせ、まず1次車として同年11月に3101〜3116の2両固定編成8本16両が新造されました。

この1次車は基本的には前年に登場した3050形とほとんど同じ車両でしたが、前面は大きく変わり、シールドビームの前照灯を上部左右に配置した2灯式となり、尾灯は急行灯と兼用にした角型のタイプのものを下部左右に設置しています。

また、ATSが当初から装備されていたほか、3000・3050形では車掌台側の窓上で独立していた運行番号表示器が窓内におさめられたり、アンチクライマーが若干大型化されたことなどにより、だいぶ近代的な印象になったと言えるでしょう。(イラスト1)

前照灯の位置変更により、当時の関東の大手私鉄車両としては唯一、関西の近鉄や京阪、阪神といった大手私鉄の車両に前面が似る結果となり、とくに車体のカラーも共通していた阪神の赤胴車に酷似したイメージとなりました。

1961年(昭和36年)11月から翌62年2月にかけて、2次車3121〜3136の2両固定編成8本16両が増備されましたが、1次車との最大の変更点は、京成車両としては初めて本格的に空気バネ台車が採用されたことに尽きます。

それにより、同じ形式ながら1次車と2次車とでは乗り心地が大きく異なる結果になりました。

そのほか、2次車では空気圧縮機の変更や2両固定編成の中間部分にある連結器の棒連結器化、さらに車体側面下部の社名表記が「K.D.K.」から「Keisei」に変えられたりしています。

運行番号表示器も1次車より若干大型で、色も白いタイプになりました。(イラスト2)

2次車の空気バネ台車についてはTDカルダンの汽車製造製、WNカルダンの住友金属製ともに、1次車のそれぞれの金属バネ台車の枕バネ部分をそのまま空気バネ化しただけのような形態のスイングハンガータイプでした。

その後1960年代後半から1970年代にかけて、列車無線の取り付け、屋根のモニター通風器のベンチレータータイプへの改造、客用側扉窓ガラスの支持方式を黒色Hゴムから金具枠に改良、室内蛍光灯カバーの撤去が行われたりしたのは3050形までと同様です。

また、1次車・2次車ともに運行番号表示器がさらに大型のものに交換されました。(イラスト3)

なお、1970年に2次車の3121-3122・3123-3124の客用側扉について、ステンレス製で窓が小型のものに交換され、かなり異彩を放っていたと同時に、少数ゆえにとてもカッコよく見えたものです。

金属バネの1次車はもちろん2次車と連結されることはなく、1次車同士を2本、あるいは3本連結した4・6連で運行されることが多く、また3050形を含んだ6連が組まれているのを見たこともあります。

空気バネの2次車は、4両固定の3200形と組んで優等運用のための6連とするのに重宝がられ、それもどういうわけか必ず3200形の上野方に増結されていたことが思い出されますが、趣味的にはこの片開き車と両開き車の混結がたまりませんでした。

片開き扉のほうが開閉時間がやや遅いこともよくわかったものです。

また、前記した小窓の3121-3122や3123-3124と3200形の混結では、扉の数ばかりか窓の上下寸法まで異なっていたので、それほどアンバランスなものはなかったと言えるでしょう。

ただ、3290番台と連結されるケースもあり、その場合だと片開き車で統一されていたのは言うまでもありません。

あと3200形以外の、たとえば3150形や3300形1次車と連結されているのはまったく見たことがなく、とくに3150形とならば片開き車で統一できたというのに、何故3200形のみとの連結にこだわったのか、今思えば謎です。

こういったことから、1次車とは逆に1980年頃までは3100形の2次車同士が組まれた4連や6連をほとんど見た記憶がありませんが、1980年より3100形の更新工事が開始されたこともあり、3200形との混結は翌81年に廃止となったようです。

また、更新前に小窓の3121-3122と3123-3124が連結された4連は確認していますが、この4両が他の3100形2次車と連結されているのは見たことがありません。

1980年(昭和55年)春先からのファイアーオレンジ基調の新赤電色への塗装変更により、3100形は3105-3108・3121-3124・3133-3136が更新工事前に変更されています。(イラスト4)

なお、それまで行商専用車として使用されていた青電の704-2203が1982年(昭和57年)の1月中に廃車になったため、同年2月から1ヶ月ほどのわずかな間ですが、その代替で更新直前の3121-3122が「荷」のHMを付けて行商専用車として使用されました。

2両編成で走行したのはかなり久しぶりだったうえ、それが最後のことにもなり、またその後の行商列車は一般営業車のうちの最後部車両ということにされてしまったので、この3121-3122こそが再期の行商専用車だったと言えるでしょう。

参考までに過去の画像によれば、3121-3122がその行商専用車として使用された際には、未更新ながらファイアーオレンジ基調の塗色に変更されていたり、少なくとも3122側の前面貫通部の埋め込み式幌が更新工事に向けてすでに撤去されていたことがわかります。

登場時からおよそ20年間の変遷は以上となりますが、更新工事以降の3100形についてはまた次回にしたいと思います。
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2015年06月19日

京成赤電回顧3050形





今回は京成赤電の3050形について簡単に振り返ってみたいと思います。

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3050形は、3000形と同じく都営地下鉄への乗り入れ用として1959年(昭和34年)9月に新製された車両です。

前年に登場した3000形がトータルで14両だったのに対し、3050形は倍近くの2両固定編成13本26両が製造されました。

形態的には3000形とほぼ同じだったものの、当初から1435mm標準軌の台車を履き、同時期に行われていた1372mm馬車軌から標準軌への改軌工事が完了した区間に順次導入されたとのことです。

また、初めて初代の赤電色が採用された車両でもあり、管理人自身はその当時まだ存在していなかったものの、それ以前には例がなかったきわめて明るい塗色の3050形は、日本初の地下鉄線との相互直通運転開始が間近に控えていたことと合わせて、きっと新生京成を象徴する車両だったに違いありません(イラスト1)。

さらに登場時の3000形にはなかった応荷重装置が当初から装備されたほか、台車も汽車製造会社・住友金属製ともに変更されました。

とくにWNカルダン車が履く住友金属製のFS329系統の台車は、その後の3100形や3300形の金属バネWN車でも採用され、現在でも新京成8000形で見られるものとなっています。

2種類の駆動方式ともに台車の形式が異なる3000形と3050形の乗り心地などの差については今となっては比べようがないものの、形式が変わったということは改良されている可能性も高いので、3050形のほうが振動や揺れ方など若干マシだったのかもしれません。

それから3050形は京成で初めてシールドビームの前照灯が採用されましたが、個人的にはその小型化された前照灯が車体に対して何気に貧弱に感じられ、大型の白熱灯式だった頃の3000形のほうが存在感があり、バランスもよくて好きでした。

その後は3000形と同じくATSや列車無線の取り付け、運行番号表示器の変更のほか、屋根のモニター通風器のベンチレータータイプへの改造などが行われています(イラスト2)。

また、客用側扉窓ガラスの支持方式が黒色Hゴムから金具枠に改良されたり、カバー付の車内蛍光灯が経年により暗くなってしまったため、カバーの撤去が行われたりしたのも3000形と同様でした。

なお、更新前の3050形は基本的に同一形式内で4連や6連を組むことが多かったものの、ときには3000形や3100形1次車と連結されているのをまれに見かけたことがあり、3100形との連結だと前照灯の数や位置が異なるためアンバランスな印象を受けたものです。

1976年(昭和51年)になると、なぜかより古い3000形よりも一足先に3051-3054の4両が更新されました。

更新内容は3000形更新車とまったく同じで、前面はイラスト3のように近代化されています。

1977年に3063-3066の4両が更新されて以降は、翌78年まで3000形の更新工事が集中して行われため、3050形の更新は一旦中断となり、1979年に入ってから再開されました。

1980年(昭和55年)には京成赤電全車についてファィアーオレンジ基調の新赤電色への塗色変更が行われることになったため、同年に入ってから更新された3069-3070および3071-3074の6両は、その新赤電色で出場しています(イラスト4)。

また、他の3050形も翌81年までに全車新赤電色化されました。

なお、2両固定編成だった3050形は更新時に半数の乗務員室を撤去して2両分割可能な4両編成となりましたが、26両を4両で割ると2両が余ることになります。

そこで3075-3076は上野側の乗務員室のみを撤去して2両ユニットとし、同形式の4両編成に連結のうえ6連で運用されていましたが、3000形の一部を更新時に完全な中間車としたように、この半端な3075-3076についても上野側だけではなく成田側の乗務員室も撤去のうえ中間車化して4両編成に組み込めば、中間に乗務員室のない6両編成をさらに増やせたというのに、どうしてそれをやらなかったのか今になってみると謎としか思えません。

更新後、昭和時代の終わりまでに車側灯の2灯化や、車内の吊り手が増設されたりした点も3000形と同様です。

なお、更新後の3000形と3050形が連結される例はめずらしくなかったものの、それ以外の形式と組み合されているのを管理人は見たことがありません。

平成に入ると3050形も冷房化の対象となり、1990年(平成2年)3月に3059-3062から冷房化改造工事が施工されました。

同時に行先・種別幕の設置も行われ、前面上部中央の前照灯部分に行先幕を設置するため新たに前照灯を上部左右に新設するという凝りようで、廃車まであまり時間がない車両に対してこれほどまでの改造を行うとは当時驚いたものです。

冷房化率で他社に遅れをとっていた京成の意地みたいなものが感じられたほか、時代遅れでしかなく確認もしにくかった行先板や種別板も早期に廃止したいところだったのでしょう。

ちなみに前照灯位置の変更により前面が3100形に酷似したスタイルになったものの、3100形よりも若干下の位置に前照灯が取り付けられたため、3100形との識別は容易でした(イラスト5)。

これらの改造により3050形は更新時以上に近代的なスタイルとなりましたが、前記の半端となっていた2両ユニットの3075-3076は1991年(平成3年)3月末に改造工事が行われることなく、3000形全車とともに廃車となっています。

そして、同時期に出場した3067-3070をもって3050形24両の冷房化工事が完了し、この時点で京成の車両冷房化率と行先・種別幕化率100%をめでたく達成しました。

しかし、それからわずか2年後の1993年(平成5年)3月には3051-3054・3063-3066の4連2本が廃車となりました。

京成の通勤冷房車の廃車はこれが初めてのことです。

翌94年1月には、千葉急行電鉄ですでに運用されていた元京急1000形1029編成の代替として3071-3074が、イラスト6のようなブルー基調の塗色に変更のうえ同社にリースされました。

同年10月には改軌工事から35周年を記念し、3050形が同工事の立役者にもなったことから、3059-3062を登場時の赤電塗色にリバイバルのうえ、廃車までそのカラーのまま運用されましたが、その期間は翌95年2月までとあまり長くはありませんでした(イラスト7)。

ちなみに赤電グループがこの塗色にリバイバルされた例は、その後も3200形3298編成や3300形3324編成がありましたが、それらはステンレスの飾り帯が撤去されていたり、前面は腰部に前照灯や尾灯が設置された更新後の形態だっただけに、3050形のリバイバルがもっともリアルだったと思います。

ただ、行先・種別幕があることから、3050形よりも3150形に近い印象でしたが・・・

その3059-3062が廃車された時点で3050形は3067-3070の4連1本と、千葉急行にリースされた3071-3074の合計2本のみとなりましたが、1995年3月末には3067-3070も塗色変更のうえ千葉急行にリースされたため、京成車の3050形は消滅しています。

その後1996年(平成8年)1月に3071-3074が除籍され、同年3月には3067-3070が引退したことにより3050形がついに全廃となり、2010年に新しい3050形が登場するまでのおよそ14年間、京成3050形は形式消滅となっていました。

なお、赤電系列がグレー基調の最終塗色に変更されはじめたのは1993年(平成5年)11月からなので、その時点ではまだ3050形が存在していたことになりますが、結局全車が最終塗色に変更されることなく全廃となっています。
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2015年06月05日

京成赤電回顧3000形





当ブログでは今回よりしばらく、昨年度中に全廃となった京成赤電の各形式について、管理人が作成した各形式のイラストをもとに、簡単に振り返ってみたいと思います。

まずは3000形からです。

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3000形は1958年(昭和33年)5月に日本初の地下鉄乗り入れ対応車両として2両固定編成7本14両が新製されました。

当初は青電塗色で登場し(イラスト1)、初めて赤電塗色が採用された3050形の新製後に、3000形も赤電塗色化され、ATSや応荷重装置、列車無線も取り付けられました(イラスト2)。

1970年代に入ると、特徴的だった屋根のモニター通風器を廃し通常のベンチレータータイプに、さらに単なる白熱灯式だった前照灯が、3050形以降と同様のシールドビームに改造されています。

それにより前照灯自体は3050形と同じ径の小型のものになりましたが、イラスト3をよく見ればわかるように台座の径は変更されなかったため、シールドビーム化後も3050形との識別は容易でした。

また、運行番号表示器が2桁で窓上に独立したタイプから、3桁で窓内にて表示するタイプに変更されています(イラスト3)。

そのほか、更新前の細かい変更点としては、客用側扉窓ガラスの支持方式が黒色Hゴムから金具に改良されたり、カバー付の車内蛍光灯が経年により暗くなってしまったため、カバーの撤去が行われたりしました。

その後1977年(昭和52年)6月から1978年(昭和53年)11月にかけて更新が行われ、前面はイラスト4のように近代化され、とくに2灯化されたことで、まるで豚の鼻のような前照灯が更新化後の最大の特徴だったと言えるでしょう。

また、3001〜3008は3002・3003および3006・3007の乗務員室を撤去して2両分割が可能な4両編成とされましたが、3009〜3014はすべての乗務員室を撤去のうえ2両ユニット3本の完全なる中間車とされたことが特筆されます。

それらの2両ユニットを3000形や3050形へ組み込むことにより、中間に乗務員室が存在しない6両編成を組めるようになりましたが、これは当時の京成では画期的なことで、もちろん一般通勤車では初であると同時に、1982年(昭和57年)に3600形が登場するまでは、京成通勤車の6両固定編成はこの2両の中間車ユニットを組み込んだ3本のみでした。

その後1980年(昭和55年)からの塗色変更により、この3000形もファイアーオレンジの新赤電色に順次塗り替えられています(イラスト5)。

さらに車側灯の2灯化や、車内の吊り手が増設されたりしたものの、更新後は廃車までとくに大きな改造工事は行われませんでした。

そしてかろうじて1990年代まで活躍したものの、1991年(平成3年)3月に新型車両3700形が就役したことにより、冷房化されることもなく同年3月末をもって14両全車が引退し形式消滅となりましたが、3004は赤電塗色や更新前の形態に復元のうえ、宗吾車庫内にて静態保存されているのは周知の通りです。

なお、3000形は3001〜3008が汽車製造会社製の台車・TDカルダン・東洋電機製造製モーターの組み合わせ、3009〜3014が住友金属工業製の台車・WNカルダン・三菱電機製モーターの組み合わせでした。

そのうち、TDカルダン車が履いていた汽車製造会社製のKS-114台車は、3050形や3100形1次車のKS-116台車と外観上の差異はほとんどなかったものの、WNカルダン車が履いていたFS-318台車は、3050形以降3300形も含めた金属バネのWNカルダン車や、現在でも新京成8000形で見られるFS-329系統の台車とは若干異なり、枕バネのコイル数が多く高さもある、ちょうどヘビがとぐろを巻いているかのような、やや異様な見た目が特徴的なものでした。

あと他ではあまり記述されていない点として、3050形以降の車両は側扉が完全に開いた状態だと戸袋内に扉のすべてが納まったのに対し、3000形は完全に納まらず、ゴムの部分が少しだけはみ出したという記憶があります。
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