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また、管理人はできるだけ正確な情報を記すよう心がけてはおりますが、
中には間違っている部分もあるかもしれませんので、予めご了承ください。

2016年06月03日

京成のサービスレベル





京成は過去に管理人の祖父が勤務していたことがあり、また当方が生まれる前の家族が高砂車庫内にあった社宅に住んでいたことなどからつながりが深く、個人的には身内のような感覚で、もっと良くなってほしいという気持ちが強いためつい見方が辛口になってしまうのですが、今回もまた批判めいた記事を取り上げなければなりません。

当ブログ前々回の記事では京成が車両を長く使うわりにはリニューアルを怠っていることに触れましたが、今度は駅のサービスについて次のような記事が出てきました。(東洋経済オンライン

ホーム上の待合室は、たとえ暖房の設備がなくても冬場のとくに風が強い日など電車を長く待たなければならないといった場合に助かるものですが、その待合室の設置率が大手私鉄中最低で、たったの4駅にしかないとは情けない限りです。

1位の京王電鉄とは偶然にも総駅数が同じですが、大手私鉄同士で設置率にこれほどの差が出ていいものなのでしょうか。

しかもその京王など他の私鉄よりも遥かに高い運賃を取っているにもかかわらずです。

あと駅のバリアフリー化については京成も努力を続けており、だいぶ良くなってきたとは思うものの、それでも段差解消率について関東の大手私鉄ではやはり最低というデータが出てきてしまいました。(東洋経済オンライン

その点でも、京成はやや遅れをとっているとしか言いようがないでしょう。

そのほか、ホームドアあるいはホーム棚を設置している駅についても京成は今のところゼロとなっています。

ようやく重い腰を上げて設置に向け検討を開始したようですが、他社がやっているから仕方なくうちでもという感じがしてなりません。

このように車両の件も含めて、ほぼすべての面でサービスが劣っている京成は、赤字時代の体質をいまだに引きずっているとしか思えないのですが・・・

京成が他社に先駆け率先してサービスを行うような時代は、永遠に来ないのでしょうか。
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2016年04月22日

京成本線にクロス車導入を





当ブログ前回の記事で取り上げた京成AE100形が引退したことにより、京成本線から通勤ライナー以外のクロスシート車が消滅してしまいました。

一方、京成ではそろそろ新型通勤車両が登場してもよさそうな時期を迎えているといえますが、個人的にはその新車が特急料金不要で乗れるクロスシート車になればいいと考えています。

最近ではクロスとロングに転換可能なデュアルシートの導入が盛んになりつつありますが、京成の場合は大きなスーツケースを持った海外旅行客が乗車することを考えると、2+1配列がいいでしょう。

そして、転換クロスシートなどという贅沢なことは言いません。

集団見合いあるいは離反型の固定クロスでいいと思います。

また、シートピッチを700mmぐらいに切り詰めれば扉間に5列配置することが可能であるほか、そういった狭いクロスシートを嫌う乗客のために、車端部は5人掛けのロングシートがいいでしょう。

そうすると座席定員は中間車で50人と、オールロングシートの3000形の52人より2人少ないだけで済みます。

この新型車両で3400形や3600形を置き換え、平日の通勤時間帯のみアクセス特急、それ以外は本線の特急として運用が可能かと思います。

関東の大手私鉄では、西武鉄道と京王電鉄で先のデュアルシートを導入した新型車両が近いうちに登場することになっています。

とくに西武では有料特急専用車両にも斬新なデザインの新型車両の登場が控えており、ボックス式ながらすでに4000系という特急料金不要のクロスシート車も運転されていることを考えると、あまりのサービスの良さに驚きとしか言いようがありません。

京成でもかつて赤電の3300形を使ってクロスシートを備えた通勤車両の導入を検討したことがあっただけに、本線から日中のクロスシート車が消滅した今こそ登場させるのに相応しい時期ではないかと思います。

まぁどうせ京成がそんな車両を導入するわけもなく、管理人の単なる妄想でしかないことでしょうが・・・
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2015年05月08日

1982年5月2日(日)の記憶





その日は海外へ出張に行っていた父親が帰国するため、成田空港へ迎えに行くことになりました。

そして津田沼駅から京成特急に乗ったのですが、車両は3100形の空気バネ車6連で、わりと更新したてだったと思います。

それが遅延していたかどうかはわからないもののかなりスピードを出す運転手で、途中から編成の中間にあった運転台のところの座席に座り速度計を見ていたところ、100qを超えることもめずらしくはなく、カーブでもあまり速度を落とさないので、グラングラン揺れてちょっと怖いながらも楽しかった憶えがあります。

さらに成田を過ぎてからが凄まじく、その当日に書いた日記を読み返してみるとこんなことが書いてありました。

「成田を過ぎて125qぐらいの速度を出し驚いた!」

おそらく120qまでのメーターを針が振り切り125q付近にまで達していたのでしょう。

従って、前回の記事でも触れたように京成赤電は120q以上出るということになります。

ただし当方はそのとき以外にも赤電で120q出ているのを何度か目撃していますが、それはすべて成田〜成田空港間でのことであって、さすがにそれ以外の区間では見かけたことがありません。

そして成田〜成田空港間は結構起伏が大きいだけに、運転手が下り勾配でノッチを入れっぱなしにしたために120q以上出ただけの話であって、やはり平坦線での性能最高速度(平坦線均衡速度)はあくまでも公表通り110qで正しいのではないかとも思えるところです。
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2014年10月24日

母と京成電車

雑記ブログでも取り上げているとおり管理人の母親が今月はじめに亡くなりましたが、今回はそんな母と京成電車との関わりについて簡単にまとめてみたいと思います。

母の父親、すなわち管理人の祖父が京成に勤務していたこともあって、昭和30年代までは京成高砂車庫の敷地内にあった社宅に住んでおり、母の出生地も葛飾区高砂でした。

母が出生した頃の京成といえば、100形や200形、500形といった半鋼製車体の青電が主力だったことになります。

そして母の高校は墨田区内にかつてあった都立向島商業高校だったので、高砂から高校の最寄駅である曳舟まで毎日のように通っていたのは間違いありませんが、それは昭和30年代前半のことになるので、ちょうど赤電が登場した頃だと思います。

その後祖父が千葉県内の京成沿線に自宅を構え、母もそこへ引っ越し、それから数年後に父と結婚して管理人が生まれることになるのですが、当方が幼少期に母に連れられてよく乗ったのは青電や赤電といった車両で、まだ非冷房車ばかりでした。

そこへいきなり登場してきたのがセミステンレスで冷房車の3500形4連4本で、もう乗りたくて乗りたくて仕方がなく、母と駅で長い間待ってみたもののぜんぜん来なくて、結局乗れなかったという苦い記憶もあったりします。

あと初代AEにも登場から間もない頃に両親に乗せてもらいました。

管理人が大人になってからも母と一緒によく京成に乗る機会があったのですが、通勤車は3000形まで、特急車はAE100までで、結局3050形や現行AEに乗せてあげることができなかったのはかなり悔やまれるところです。

とにかくこのように幼少期から母とともに度々乗車してきていろいろな思い出も多い京成の車両達は、管理人にとっていずれの形式もかなり親しみ深いものがあるというものです。

しかしまさか赤電の完全消滅よりも先に母がいなくなってしまうとは思いませんでしたが・・・
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2011年11月02日

京成のアルミ車両





1953年(昭和28年)に「特急開運号」専用車両として登場した京成1600形が1968年(昭和43年)に通勤車化改造された際、3両のうちの2両(更新時に1601→1602、1602→1601に改番)が新造によるアルミ車体の中間車に生まれ変わりました。これはおそらく京成がそれまでの普通鋼に代わる車体の採用を検討するための試作的意味合いが大きかったものと思われますが、無塗装のアルミ車体に赤電と同様のステンレス飾りのついた青色の帯を巻いたその姿は、いきなり京成の車両が未来にタイムスリップした印象で、そんな先進的に見える2両のアルミ車が704と2203という旧来からの青電にサンドイッチされたことにより、ひときわ異彩を放つ存在でした。また、車内のカラーについてもそれまでの京成にはなかった斬新なもので、当方の記憶では化粧板が更新前の3500形3517以降で採用されたのと同様のクリームイエロー系、シートはグリーンと、こちらも試作的要素が強かったのではないかと思います。

しかしながらそういった見た目の新しさとは裏腹に、下回りは特急車時代の機器類をほとんどそのまま再利用しているため、吊り掛け式の駆動装置に金属バネ台車と古くさいものでした。またアルミ車体のためか、つい最近引退となったJR203系のような車体剛性の不足感が強く、その証拠として子供だと側窓が引っかかり開閉がほとんど不可能で、大人の力をもってしてもかなり苦労していた記憶があります。

1974年(昭和49年)になると1601を廃車して3両編成化のうえ行商専用車両となったため、一般の乗客として1600形アルミ車にのることができたのはわずか6年間だったわけで、その後は走ってるのを見る度に無性に乗りたくなるにもかかわらず乗れないのが無念で仕方ありませんでしたが、1981年(昭和56年)にはついにその1602も廃車され、同時に京成から吊り掛け駆動方式の営業用車両が消滅したことになります。ただし1602のアルミ車体は廃車後も2000年代後半まで宗吾車両基地内で倉庫として利用され、敷地外からもその姿を見ることができました。

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また、1600形でアルミ車体を試した後に登場した新形式車両3500形は結局スキンステンレス車体の採用が決まり、京成でアルミ製の車体が本格採用されたのは2009年(平成21年)に初お目見えした新型AE車で、なんと1600形アルミ車の登場からおよそ41年後のこととなっています。


一方、これはあまり知られていないかもしれませんが、新京成でもアルミ車両が導入されたことがあります。1955年(昭和30年)に8両全車を京成から譲受した14メートル級小型車の300形が新京成で車体新造による更新が行われた際、307がアルミ車体による軽量試作車となりました。完成は300形更新のトップをきって1966年(昭和41年)11月とされているので、京成1600形よりも2年ほど早く、新京成の方が先にアルミ車両を導入したことになります。また、京成1600形と異なっていたのは同じアルミ車体ながら他の新京成車両と同じように全塗装されていたため、外観上での判別は不可能でした。こちらは残念ながら管理人自身乗った記憶がまったくないまま1978年(昭和53年)11月に廃車となっています。それから現在にいたるまで新京成ではアルミ車両の導入実績はありません。
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2011年04月20日

地震による京成のダイヤ乱れ





今月16日の午前中に千葉県内で最大震度4を記録する地震が発生しましたが、その日の午後にダイヤが乱れていた京成の上りを管理人が利用した際の状況です。

まず京成津田沼駅1番線に快速西馬込行が到着し、通常ならばその快速が先に発車するはずが、2番線の始発普通が先発になるとのことで急遽乗り換えました。ところが船橋競馬場の2番線に到着した普通が津田沼で後発になった快速を先行させることになり、さっそく乗り換えるハメに・・・。

その後当方が乗った快速は東中山まで先行したものの、なかなか発車せずもたもたしているうちにまたさきほどの普通に追いつかれてしまったという・・・。ここで快速と普通の車掌さん同士どちらを先に発車させるのかしばらく問答したあげく、結局快速が先に発車することになりました。

そして小岩の2番線に到着し、ここでもまたしばらく停車しているうち、急遽特急から快速に種別変更された上野行が1番線に到着し、そちらが先発となりましたが、まさか途中駅で快速同士が並び、しかも快速が快速に追い抜かれるというレアな光景に出くわすとは思いませんでした。

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当方はそのまま西馬込行に乗り続けましたが、とにかく普段よりも大幅に時間がかかり、高砂までがとても遠く感じられ、震度4程度でも地震というのはダイヤを大きく乱すものだとつくづく感じた次第です。。。
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2011年03月23日

京成の節電意識





今の鉄道では車内の蛍光灯を終日点灯するのがほぼ当たり前になっていますが、昔の京成を思い出すと晴れた日の昼間の地上区間では消灯し、トンネル区間や京成津田沼・八幡など消灯したままでは車内が暗くなる部分では乗務員がその都度点灯していた記憶があります。

一方、ここのところの電力不足による計画停電の影響で鉄道会社でも列車の運行本数を減らすなどの対応に迫られているのは周知の通りで、これだけ節電が叫ばれている状況なので、てっきりそんな昔のように日中の地上区間では車内灯の消灯を実行しているのではないかと思っていたのですが、先日京成に乗車したところ晴天の昼間であったにもかかわらず千葉県内から押上まで終始点灯したままだったのはかなり意外でした。その後浅草線のトンネルを超えて品川から乗車した京急では断りのアナウンスを入れたうえでやはり消灯していました。

同じ京成でも消灯を実行している乗務員もいるのかもわかりませんが、とにかくこれだけ電力事情が逼迫している中、ちょっと節電意識が低いのではないかと感じた次第です。

あと計画停電については冷房使用により電力需要が拡大する夏にも実施される予定とのことで、鉄道界では暑い日に窓全開で走る非冷房車が久々に再現されることになってしまうかもしれません。


:2011.03.30追記
その後いただいたコメントによれば、京成の大半の車両は前照灯を点灯している場合、室内灯を消すのは不可能とのことで、それが事実であれば室内灯を常時点灯せざるを得ないことがわかりました。
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2010年12月30日

京成グループこの1年





2010年もまもなく終わろうとしていますが、今年1年の京成グループについて簡単に振り返ってみたいと思います。

今年の京成のハイライトは、なんといっても社運を賭けたプロジェクト「成田スカイアクセス」が始動したことに尽きるでしょう。それにより新線区間の開業や新型車両の導入はもとより、在来線最高速度を誇る新型スカイライナーの運行により都心〜成田空港間の所要時間を大幅に短縮したこと、さらには従来からある駅の大改良工事を完成させたりと、京成が大きく飛躍した1年でありました。管理人としても当初の成田空港への鉄道アクセスが現在の東成田駅からいちいちバスに乗り換えなければならなかった不便さを思い出し、その当時とは比較にならないほどいろいろな面で便利になったことは感無量の思いで一杯です!!

そんな華やかなプロジェクト幕開けの一方で、登場から20年間活躍してきたAE100形7編成のうちの3本が静かに生涯を終えるという出来事もありました。また、新京成では非常に貴重な形態を今に伝えていた最古参の800形がついに引退となってしまったこともかなり残念でした。

しかし、そんな中でも京成3300形、および北総7260形といった赤電グループが今でも現役で活躍し続けていることは個人的にとても好ましい限りで、これらの車両が来年以降もできるだけ長く在籍していけることをただただ願うばかりです。

というわけで、今年1年当ブログをご覧いただきありがとうございました。
また、当ブログでご紹介した商品を購入していただいた方々にも厚くお礼申し上げます。
新年もどうぞよろしくお願いいたします。
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2010年06月03日

京成新ダイヤ考察





今回は先月末に発表された7月17日の成田スカイアクセス開業時の京成新ダイヤについていろいろと考えてみたいと思います。

まず、スカイアクセス経由の新型スカイライナーのダイヤについては、管理人が当ブログ昨年4月9日付の記事で予想した各駅到着、あるいは出発時刻が下りはまったく同じ、上りも成田空港発車時刻に1分の差がある以外は予想通りでした。(当ブログ該当記事
ただ、異なっていたのはほぼ終日に渡り20分毎で運行するものと考えていた点です。実際には朝方の下り列車のみ20分毎に運行されるものの、あとは毎時2本体制となっており、しかも日中は上野発が毎時00・40分、成田空港発が39分・59分発と変則的になっています。これは後述する本線経由のシティライナーとの兼ね合いによるものですが、新型スカイライナーが閑散時でも等間隔で運転されない点はちょっと意外でした。

続いてスカイアクセス経由の一般特急について、以前は上野発着になるような気配だったため、管理人が同じく昨年4月16日付の記事で当面の成田・羽田両空港間直通列車、あるいは都営線内主要駅と両空港を結ぶ最速列車にすべきであることを述べましたが、やはりまったくその通りになりました。ただしこちらも1年前の時点ではほぼ終日20分毎と予想していましたが、実際には40分毎になるようです。おそらくスカイライナーにしても特急にしても、20分毎では輸送力が過剰になってしまうからでしょう。
なお、当方はこの「アクセス特急」の両空港間の所要時間について、羽田へ向かう列車が99分、成田に向かう列車が104分と予想しましたが、実際には標準で103分と、これも結構その予想に近いものでした。(当ブログ該当記事

次に現行の本線経由のスカイライナーとAE100形については、「シティライナー」という形で存続することになりました。AE100が全廃にならずに済んで本当によかったと同時に、ついに京成が2種類の有料特急専用車両を保有することになるのは嬉しい限りであり、かねてから懸念していた新線ばかりに力を注いで本線をおざなりにするようなことがなかった点は高く評価したいと思います。
存続の話については以前から聞いており、当ブログでも仮に残すなら現行の40分サイクルのダイヤパターンからすると80分毎、あるいは120分毎程度になると予想したことがありますが、蓋を開けてみれば60分毎という頻度にも驚かされました。毎時1本確保されているのであれば現行の40分毎と比べてもさほど利便性に差はないといえそうです。そうなると運用に必要となる本数は3本、予備が1本で計4本と、半数以上のAE100が残ることになります。
ただし40分サイクルのダイヤに60分毎の列車をねじ込むとなると、どうしてもパターンが崩れキレイなダイヤにはならないことでしょう。あと船橋から一気に成田というのはちょっと距離がありすぎるので、勝田台あたりにも停車するとより便利になるのではないかと思いますが・・・
このシティライナーは成田空港発上りが毎時19分発で、毎時39分発と59分発のスカイライナーと合わせてちょうど20分毎の等間隔になっていますが、上野発は基本的に毎時50分発で、スカイライナーと合わせると毎時00・40・50分と等間隔にはなっていません。これはシティライナーの所要時間、そして上野駅での折り返し時間や線路容量の関係で仕方なかったものと思われ、とくに等間隔にこだわる必要はないとはいえ、有料特急の発車時刻が若干集中しすぎの印象を受けるところです。

あとはこれも以前から言われていたことではありますが、モーニング・イブニングライナーの使用車両が新型AEとなるため、本線の高砂〜成田空港間でも乗車できたり、その走行シーンを見ることができます。
また、本線のダイヤは有料特急が40分毎から60分毎になる以外は、各種別とも基本的に現行の運行本数と変わらないものと思われます。

そのほか、快速の千住大橋停車や押上線に残っていた急行種別の廃止などが行われる予定です。さらに金町線の高砂駅新ホームが完成し、7月5日(月)に先行してダイヤ改正が実施され、金町線の運行本数が増発されることになりました。

というわけで、新ダイヤの詳細な発着時刻の発表が待ち遠しい限りです。(京成公式PDF
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2008年12月25日

京成線鬼越駅踏切事故





今週の23日火曜日、京成鬼越駅脇の踏切で3017編成の下り普通列車と軽自動車が衝突するという結構大きな事故が発生しました。この軽自動車が、踏切で衝突を起こす直前に国道14号線で他のクルマへの当て逃げ事故を起こしていた状況から察すると、逃げるのに必死で踏切で止まっている車列を対向車線から追い越して、警報機の鳴っている踏切内に無理矢理突っ込み事故を起こしたものと考えられます。
今回は列車の乗員乗客に負傷者が出なかったことは本当に幸いでしたが、盗難車でこういった無謀な運転をするような輩が死亡するのは当然の結果として、実に迷惑千万な話です。今からおよそ6年前の2003年1月23日にも京成大久保〜実籾間の踏切で今回と似たような事故が起こり、当方もその復旧作業を見守っていたわけですが、踏切の安全対策は障害物検知装置の設置により飛躍的に向上したものの、このようないきなり踏切内に突入してくるクルマ等に対しては、せっかくの装置もまったく役に立たず、遮断機をもっと頑丈なものにするか、踏切自体をなくすぐらいしか手立てがありません。
今回はたまたま鬼越駅に停車する普通列車で減速中だったことや、スカート付の3000形だったことが幸いして、事故後の被害がそれほど大きくならずに済みましたが、これがもしスカイライナーや特急・快速だとしたら、ちょうど真間川付近までのカーブから直線にさしかかって力行走行中のうえ、スカートのない3600形ならば車両の下にクルマの車体を巻き込んで下手すると脱線など、被害はもっと甚大なものとなり、復旧作業にもさらに時間がかかっていたことでしょう。
故意に遮断機の下りている踏切に突入するような危険行為は、みずからの命を落とすばかりではなく、他人を死傷させたり多大な迷惑をかけることにもつながるだけに、本当にやめてもらいたいものです。
SANSPO.COM該当記事

カメラ事故に遭遇した3017編成(新製直後)/画像提供:レッドラインさん
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事故現場の踏切

大きな地図で見る
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2008年01月31日

祖父と京成グループ





当方の祖父はすでに他界していますが、京成グループの永年勤続功労者でした。明治生まれながら早稲田大学に入学して建築や土木を学び、卒業後すぐに京成電鉄に入社し、おもに保線や隧道の工事責任者のほか、ビルなどの設計などにも携わったようです。その祖父が手がけた仕事として当方が聞いているのは以下のとおりです。

:京成日暮里〜上野間の隧道工事

:京成上野駅構内の都道をくぐる通路部分

:旧京成上野本社ビル

:京成押上駅付近の隧道工事。

我が家には京成五十五年史にも掲載されている上野公園内の隧道工事の貴重な写真があったりします。

また、鋸山ロープウェーの建設工事に携わったり、一時期関東鉄道へ転勤になり、茨城県水海道市内に単身赴任していたこともありました。常総線の軌道が今日のようによくなったのは自分の功績だという自慢話をよく聞かされたものです。その後いったん京成に戻りましたが、晩年は新京成電鉄へ転勤となり、本社内事務職(当初は新津田沼駅近く、移転後はくぬぎ山)として数年間勤め、定年後もしばらくは新津田沼駐車場の事務を担当した後、永年に渡る京成グループでの勤続を終えました。

余談ながらその当時は定期的に家族パスが発行され、家族全員が京成全線にフリーで乗車できたほか、乗り入れ先の都営浅草線や京浜急行線の各駅で降りる際にも駅員さんが快く通してくれたのも今となってはいい思い出となっています。

祖父が京成に勤めていた関係もあり、当方が生まれる前の我が家族は高砂車庫内にあった京成の社宅に住んでいたのですが、昭和22年に発生した車庫火災では車両を守るためみんなで協力して押したなどという話も聞いたことがあります。このように祖父は過去の京成についてのいろんな話を聞くことができる貴重な生き証人ともいえる人物だっただけに、亡くなったときはかなりショックでした。

そんな祖父が他界してからまもなく10回目の命日を迎えようとしています。
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2007年09月06日

寒すぎる車内





先日、夜になってから京急蒲田より京成線方面への直通列車に乗車したところ、冷房が強すぎてもう寒いのなんのって・・・(;゚д゚)
とても暑がりで昨今の冷房を弱めに設定する傾向に耐えられないぐらいなウチですらガクブル状態。。。
そして、泉岳寺で京急から都営の乗務員に交替してもその状態はまったく変わることはありませんでした。
さらに押上へ到着して京成の乗務員に代わったところ、客室と乗務員室の仕切りにある扉を開けて車内放送の音量と冷房の効き具合をしっかりと確認し、冷房を弱めてくれたことでようやく寒さから解放されたという・・・
京成の車掌さんGJ!! 本当に乗客への気配りができているという印象で、京成ファンとしてとても嬉しくなりましたp(^-^)q
ちなみに、都営では仕切りの窓を開け音量の確認さえ行わず、耳が痛くなるほど放送がうるさかったことも付け加えておきますw
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2007年04月05日

開運号の怨念・・・!?





京成で先月末からトラブル続きですねぇ。。。
しかも、最初のトラブルは3295編成が除籍された当日である29日の朝だったり、2日にはめったにあり得ない全線ストップだったり・・・
単なる偶然ではありましょうが、あまりにもリアルすぎるタイミングにより、これは開運号のタタリではないかと考えたくもなるというものです(;゚д゚)
そういえば、京王電鉄でも井の頭線明大前駅下りホームにあった「無事湖」という小さな池を取り壊した途端、2006年中に2件の踏切衝突事故が発生したため、池のタタリではないかという噂が立ったみたいですが・・・
京成の場合は死傷者が出るような事故ではないことがまだ幸いなものの、とにかく今後大きな事故等が起きないことを祈るばかりです。
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2007年01月05日

京成ダイヤ改正雑感





今さらの感がありますが、京成のダイヤ改正で変化した、他所ではあまり語られていないことを中心に、簡単にまとめてみたいと思います。

:まずは、うちが予想したとおり本線系統の20分毎の普通列車が京成津田沼折り返しになったわけですが、上野方面から津田沼駅3番線に到着した列車は、いったん上り方面にある引き上げ線に入り、さらに2番線に入線して上り方面への始発普通列車となるといった流れで、全部で3回進行方向を変えるたびに、乗務員が車内を行ったり来たり状態w そのため、うちが津田沼始発上野行に乗った際は、電車が到着してから扉が開くまで、かなり待たされました。また、3番線から上り方面への発車や、上り方面から2番線に電車が入線してくる光景というのも、はじめて目の当たりにすることになりました。

:ダイヤ改正以降、日中の佐倉以遠にはまだ乗車していませんが、夕方の下り快速が佐倉以遠へ延長運転されるのは、佐倉発16:59分からと、沿線にある高校等の標準下校時間の終了後となっています。これはいくらなんでも減便しすぎで、改正からこれまではテストや短縮授業、そして冬休みのため、それほどの影響はなかったと思えるものの、冬休みが終わって学校が始まると、とくに15時〜16時台の佐倉以遠の特急には空港や成田までの一般客と学生が集中することになり、結構な混雑が予想されます。せめてあと1時間早く快速を成田まで延長運転すべきではないでしょうか。また、夕方以降の上り快速は、一部を除き基本的に佐倉始発のままとなっていますが、これは一旦成田方面まで行った下り列車を、わざわざ回送として佐倉まで折り返し運転させているものと思われ、どうしてそこまでして佐倉以遠の快速を減らしたがるのか、理解に苦しむところです。
平成3年ごろまでのダイヤでは、日中の佐倉〜成田間で上野発成田空港行の特急が40分毎、上野発成田行の急行が40分毎、西馬込発成田空港行の急行が40分毎と、一般列車が40分に3本走ってましたが、現状の40分に特急2本というのは、その頃のレベルを下回っていることになり、特急のスピードダウンも含めて、まったく京成側の一方的な都合による改悪としか言いようがありません。
また、他でもよく言われていることですが、快特と快速を同時に走らせるというのは混乱のもとです。快速の停車駅は現行のままにして、種別名を急行に戻せば解消すると思います。

:船橋付近の下り線高架化後はじめて、船橋駅を通過するイブニングライナーに乗車しましたが、駅手前の急カーブが解消されたことによって、以前のように大げさに減速せずスムーズに走行するようになり、乗り心地も向上しました。ただし、海老川付近のカーブでは、以前と変わらない速度に制限されることになります。

:新京成の京成津田沼〜松戸間が40分から44分になったことは以前にもお話しましたが、これは京成千葉線との直通運転開始や接続等により、京成津田沼や松戸での折り返し時間に余裕を持たせたため、必然的にそうなってしまったことがわかりました。実際に改正以降京成津田沼から松戸までフル乗車しましたが、松戸駅の手前で新京成としてはめずらしくATSが作動しました。その直後、津田沼方面への下り列車とすれ違い、松戸駅にも1本止まっていたので、44分というのが余裕を持たせた上での最速時間のようです。駅間の長いところでは相変わらず運転最高速度で走るので、思ってたほど遅いという印象はなかったものの、やはり区間によっては以前ほどテキパキと感じられない部分もあることは否めません。新京成の千葉線への乗り入れは、趣味的にはかなり面白かったものの、少なくともうちにとって実質的なメリットは、残念ながらほとんどなかったと言えます。
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