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2008年01月31日

祖父と京成グループ





当方の祖父はすでに他界していますが、京成グループの永年勤続功労者でした。明治生まれながら早稲田大学に入学して建築や土木を学び、卒業後すぐに京成電鉄に入社し、おもに保線や隧道の工事責任者のほか、ビルなどの設計などにも携わったようです。その祖父が手がけた仕事として当方が聞いているのは以下のとおりです。

:京成日暮里〜上野間の隧道工事

:京成上野駅構内の都道をくぐる通路部分

:旧京成上野本社ビル

:京成押上駅付近の隧道工事。

我が家には京成五十五年史にも掲載されている上野公園内の隧道工事の貴重な写真があったりします。

また、鋸山ロープウェーの建設工事に携わったり、一時期関東鉄道へ転勤になり、茨城県水海道市内に単身赴任していたこともありました。常総線の軌道が今日のようによくなったのは自分の功績だという自慢話をよく聞かされたものです。その後いったん京成に戻りましたが、晩年は新京成電鉄へ転勤となり、本社内事務職(当初は新津田沼駅近く、移転後はくぬぎ山)として数年間勤め、定年後もしばらくは新津田沼駐車場の事務を担当した後、永年に渡る京成グループでの勤続を終えました。

余談ながらその当時は定期的に家族パスが発行され、家族全員が京成全線にフリーで乗車できたほか、乗り入れ先の都営浅草線や京浜急行線の各駅で降りる際にも駅員さんが快く通してくれたのも今となってはいい思い出となっています。

祖父が京成に勤めていた関係もあり、当方が生まれる前の我が家族は高砂車庫内にあった京成の社宅に住んでいたのですが、昭和22年に発生した車庫火災では車両を守るためみんなで協力して押したなどという話も聞いたことがあります。このように祖父は過去の京成についてのいろんな話を聞くことができる貴重な生き証人ともいえる人物だっただけに、亡くなったときはかなりショックでした。

そんな祖父が他界してからまもなく10回目の命日を迎えようとしています。
posted by SS at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 京成関連テキスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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