
新京成旧型車両について前回取り上げたモハ39形に続き、1927年(昭和2年)8月に京成が千葉線のローカル用として新造したのが、雨宮製作所製のモハ45形45〜48号までの4両でした。
屋根がシングルとなって明り窓がなくなったり、台車がブリル製から国産の雨宮製H2型になったことなどが39形との相違点となっています。
1947年(昭和22年)に発生した高砂車庫の火災により、モハ48号が被害に遭い廃車となりました。
残りの3両のうち、モハ46号が1947年10月に、モハ45と47号が1948年10月にそれぞれ新京成に譲渡されました。
側扉の窓が4枚の小さなガラスで構成され、木枠が十字に組まれた形状をしていたため、「キリスト電車」と呼ばれていたそうです。
1953年(昭和28年)10月、京成津田沼駅へ乗り入れるに当たり改軌工事が行われた際、このモハ45形は台車が米国のブリル製に履き替えられ、乗り心地の良さは乗客に好評だったものの、走行時に窓柱が左右に揺れるなど、木造車体特有の動きはモハ39形と同様でした。
1955年(昭和30年)の松戸までの単線開業時にはモハ39形41号を含めた4両編成でラッシュ時や、彼岸時期の八柱霊園墓参等の旅客輸送にも活躍したとされています。
その後、放送装置の取り付けや側扉の自動化が行われたものの、老朽化のため全金属車体に更新されることになり、1962年(昭和37年)12月に45号とモハ39形41号を改番した46号、1963年3月に47・48号が竣工し、2両固定編成2本となりました。
これが新京成初の車体更新になったと同時に、同社から木造車両が姿を消しています。
モハ39形の記事でも触れたように、14mの小型車体であることや、最高速度が時速60kmほどしか出なかったことが災いし、昭和50年代に入るとラッシュ時のダイヤに乗り切れず予備車扱いとなってほとんど動かなくなり、1977年(昭和52年)3月に45・46号が、1978年2月に47・48号が惜しまれながら廃車となりました。
せっかく車体新造されたにもかかわらず長く活躍できなかったのは残念ながら、その後の新京成の車体更新車スタイルの先駆車として、歴史に残る車両であることは間違いないでしょう。
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