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2016年11月18日

新京成電鉄39形





新京成電鉄は今年で創立から70周年を迎えました。

そこで、今後当ブログではその節目を迎えたことを記念して、本年9月9日の記事で紹介した1986年発行の新京成社内報をもとに、同社の旧型車両について解説していきたいと思います。

今回はまず、1947年(昭和22年)12月の新京成開業時を支えた第1号車である39形を取り上げてみましょう。

この39形は京成電鉄が成田線建設に伴い、1925年(大正14年)に雨宮製作所で新造した14mの木造車両で、モハ39号からモハ44号までの6両が存在しました。

前面はフラットで非貫通の5枚窓、ダブルルーフや側窓上に明かり窓のあることが特徴だったと言えます。

1938年(昭和13年)にはモハ40・43号の2両が300形となったため、1942年にモハ42・44号がそれぞれモハ38・40に改番となり、欠番が埋められました。

その後1945年(昭和20年)3月の空襲でモハ38・39号が地上時代の押上駅で消失し、さらに翌1946年10月には青砥付近で発生した事故のためモハ40号が廃車となっています。

幸いにも原形のまま生き残ったモハ41号が、前述のように1947年(昭和22年)12月の新京成新津田沼〜薬園台間2.5kmの開業時に譲受のうえ運行されました。

車体が木造のため、走行中に窓柱等の組込部に乗客の髪の毛や衣類が喰い込むことがあり、無理に引っ張ろうものなら髪が抜けたり服が破れたりしたことから、「喰いつき電車」と不評をかったこともあったそうです。

新京成譲渡後は手動式側扉の自動化や放送装置の取り付けなどの改良が施されましたが、1960年代に入ると車体が老朽化したため、1962年(昭和37年)12月に大栄車両製造による全金属製で片運転台の新造車体に乗せ換えられました。

その際、モハ46号に改番されたとともに、同じく京成から譲受し同時期に全金化更新されたモハ45形45号と永久連結の2両固定編成となりました。

また、更新により2両編成で1C6M制御という特殊な制御方式となりましたが、これは京成3200形3221以降の新車で6M方式を採用する際の試験的な意味合いがあったともされています。

乗車定員が更新前に比べ若干増えたものの相変わらずの14m車体で、200形や500形といった京成青電更新車をそのままコンパクトにしたような、とても可愛らしくて好ましいスタイルだったと言えるでしょう。

しかし、そんな小型車体や、最高速度が時速60km程度と低速車であることが災いし、昭和50年代に入ると早くも予備車扱いとなってほとんど動かなくなり、1977年(昭和52年)3月に惜しまれながらついに廃車となってしまいました。

せっかく車体新造されたにもかかわらず、長く活躍できなかったことは残念ながら、とにもかくにもこの39形モハ41号は、新京成の開業時を支えた1号車として、同社の車両史に永遠に残る記念すべき車両であることは間違いありません。
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posted by SS at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 新京成旧型車両 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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