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2016年04月08日

さようなら京成AE100形





2015年度をもって京成の2代目スカイライナー、およびシティライナーとして活躍してきた京成AE100形が引退となりました。

すでに新年度となってしまいましたが、今回はそのAE100形について管理人なりの雑感とともに振り返ってみたいと思います。

まずAE100形登場までの経緯をお話すると、1972年に登場した初代AE形は成田空港が開港した1978年よりスカイライナーとして運行を開始しましたが、当時は都心側のターミナルが上野駅のみだったことや、成田空港駅(現東成田駅)も空港ターミナルから離れていたためバスに乗り継がなければならない不便さにより敬遠され、ほとんど空気輸送といった状態が続きました。

そのため、1985年頃にはそれまで30分毎だった運転間隔を40分毎に減らしたのですが、それから間もなく円高による海外旅行ブームが起きて、それまでガラガラだったスカイライナーが今度は満席になるケースもめずらしくなくなったばかりか、時間帯によっては積み残しさえ発生するようになったため、運転間隔は40分毎のまま車両編成を長くすることにして、6両編成7本だった初代AE形を8両編成5本に改造しました。

そこで不足となった2本を新型車両で補うことになり、AE100形が1990年6月に登場したというわけです。

そのほかにも、翌1991年に成田空港ターミナルビル直下への乗り入れを控えていたことや、スカイライナーのサービスやイメージを向上させるため、初代AE形をすべて置き換える目的もありました。

AE100形は京成で新造による量産車としては初のVVVFインバーター制御を採用した車両となりましたが、この当時はもはやVVVF自体はさほど目新しいものではなかったと思います。

ただ、昭和時代のVVVFはひとつのコントローラーで多くのモーターを制御する技術がまだ確立されていなかったため、1C4M制御が限界で、MT比も1:1の方式ばかりだったものの、昭和末期頃にモーターの出力を若干抑えながら1C8M制御の技術が可能になり、1988年に登場した東急1000系に初めて採用されたのですが、AE100形にもその方式と同様のものが取り入れられたという点は目新しかったと言えるかもしれません。

それにより8両編成で制御装置は3台と経済的になり、MT比はVVVFながら6M2Tとモーター車の比率が高くなっています。

また、営業運転開始ではほとんど同時期に出てきた東武100系スペーシアにわずかながら先を越されたものの、AE100形とその東武100系、さらにはJR北海道の785系も含めた3車種は、有料特急専用車両にVVVFを採用した最初期のものでした。

AE100形はそのほかにも当時最新の技術や装備をできる限り採用した京成の自信作ということで管理人の期待もかなり大きく、営業運転開始直後にさっそく乗りに行ったものです。

まず外観についてはまずまず有料特急らしいスタイルで、初代AE形と比べてもたいぶ見た目のインパクトが強くなったと感じさせられましたが、どこか垢抜けないという印象も否めませんでした。

鉄道車両としてはめずらしいリトラクタブル式の前照灯も、終日に渡り常時点灯するようになってからはあまり意味のないものになってしまったと言えるでしょう。

また、内装についても色調も含めて全体的にやはり野暮い感じで、それは同時期に登場した東武100系と比較しても明確であり、現に1991年のブルーリボン賞は東武100系に輝き、AE100形は歴代スカイライナー車両の中で唯一受賞を逃すという不運な車両となってしまいました。

そのほか、AE100形の大きな特徴として、先頭車が19.5m、中間車が19mと、それまで18m車ばかりだった京成としては全長が異例の長さになったことが挙げられます。

ちょうど関西の阪急や阪神、京阪といった私鉄の車両とほぼ同じ全長で、そのためジョイント音のリズムもそれらに似たものとなり、他の京成車両とは若干異なっていました。

ただ、全長が拡大されたことで建築物に接触しないように全幅が切り詰められ、それは座席の横幅にまで影響し、初代AE形と比較してシートピッチはせっかく大幅に拡大されたというのに幅は窮屈になった印象で、座面の前寄りが下がっているかのような構造とともに、お世辞にも座り心地のいい快適なシートとは言えなかったものです。

まぁそれほど長時間乗車するような車両ではなかったことが救いでしたが・・・

逆に進歩したと思えた点は、台車が3600形までのS形ミンデンからSU形になったことで、横揺れ時のショックがいくぶん軽減され、車両自体の乗り心地は良くなった印象を受けたことです。

なお、3.5km/h/sという起動加速度は赤電以降の通勤型車両とまったく同じで、有料特急専用車両としては日本一を誇っていたのは間違いありません。

JRとともにターミナルビル直下への乗り入れが開始された1991年3月19日に成田空港駅で行われた開業記念式典で、AE100形とJR253系成田エクスプレスが同時発車した際、本来ならばセレモニーなので足並みを揃えたほうが好ましいところ、AE100形の起動加速が速すぎてまったく話にならなかったニュース映像を記憶されている方も多いことでしょう。

その後2001年の暮れからは車内のリニューアル工事が行われ、暖色系だった内装を寒色系に変更したり、バリアフリーへの対応やトイレの改修などが施工されました。

3500形での更新工事の中止以降、通勤型車両についてはリニューアルなどほとんどせずに放置したままの京成も、さすがに有料特急専用車両だけは手を加えるのだなと思ったものです。

京成車両で車内のみリニューアルされた例というのはきわめてめずらしいと言えるかもしれません。

その後2010年7月17日に成田スカイアクセスが開業し、新型AEが登場したことにより、AE100形は本線の閑散時に運行される「シティライナー」として第2の活躍を開始することになりましたが、2010年の7月から8月にかけて、余剰となるAE108編成・AE118編成・AE148編成が廃車されました。

新製による量産VVVF車が編成まるごと廃車になったのは、JRグループを除けばこのAE100形3本が初ではないかと思います。

ともあれ個人的には京成が2種類の有料特急を運行し始めたことがかなり嬉しかったのですが、翌2011年3月11日に発生した大震災での原発事故による電力不足で真っ先に運行本数削減の対象とされたのがシティーライナーでした。

その後も特急料金が高すぎることによる利用客の低迷で、初代スカイライナーの初期の頃の空気輸送を彷彿させられるかのような有様が続いたため次第に本数が減らされ、晩期にはついに土曜休日1往復のみという状態になり、2015年11月29日をもってシティーライナーの定期運用が終了、翌2016年1月中の臨時運転を経た後、2月21日・28日の「さよならAE100形記念ツアー」をもってついに引退となり、初代AE形までの特急専用車両ほどではないにしても、やはり比較的短命で生涯を終えてしまった次第です。

新製による量産VVVF車が形式消滅となったのは、おそらくJRグループを含めても初のことではないでしょうか。

管理人としては、初代AE形の下回りがいまだに3400形で健在だというのに、それより20年ほどは新しいAE100形の機器類すら再利用されなかったのが残念でなりません。

3400形あるいは3600形に活用していれば、そのいずれかの形式の車両すべてをVVVF化できたのにとつくづく思います。

また、管理人は記念ツアーに参加しませんでしたが、事前にツアーの行程の中にはまずスカイアクセスの走行も含まれるだろうと予想していただけに、それがなかったのは意外だったと同時に、スカイアクセスで設計最高速度の130kmとは言わないまでも、せめてこれまで実績のない120kmを出して最後の力走を見せてくれることに期待していただけに、その点もちょっと残念でした。

最後にAE100形の画像集を掲載して結びにしたいと思います。

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posted by SS at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 京成車両記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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