
今回は京成赤電3300形の登場時から更新前までについて振り返ってみましょう。


京成3300形は、1968年(昭和43年)から1972年にかけて計54両が新造されました。
1968年11月に登場した3301〜3316の1次車16両は、ほとんどが3200形6M両開き扉車と同じ内容で、3200形3300番台といっても差し支えのない車両となっており、車両番号を見なければ、外観上ではまず見分けることができませんでした。(イラスト1)
ただ、車内では座席袖に荷棚と一体式のスタンションポールが設置されたことが3200形との大きな違いで、乗車すれば3300形であることが一目でわかったものです。
また、3200形3290番台もそうでしたが、ユニット間に密着自動連結器が本格的に採用されたことで、2両単位での分割が可能になり、6両編成も組成できるようになりました。
1969年(昭和44年)12月より新造された2次車では車両前面と側面上部に行先種別幕が新設されたことで、ようやく新形式らしい特徴を備えることになりました。(イラスト6)
また、側扉もステンレス製で窓ガラスの支持方式が金具押さえになったことで、かなり近代的な外観となりましたが、その反面台車の枕バネが金属バネとなったことは時代に逆行した流れとしか言いようがないでしょう。
その理由は6両編成を増やすために同じく金属バネ台車を履く3000形から3100形1次車までの2両固定編成と連結可能な4両編成が必要になったためとされていますが、扉数の違いや種別方向幕の有無によりアンバランスな編成になってしまうのは間違いありません。
実際に連結された例もほとんどなかったものと思われるだけに、まったく無意味だったという印象で、そのために京成は少なくとも関東の大手私鉄で最後まで金属バネ台車の車両が残ることにもなった次第です。
そのほか、細かな点では前面窓上の中央寄りの左右それぞれに小さな手すりが設置され、これは同じく更新前から行先種別幕が設置されていた一部の3150形との識別点にもなっていました。
1972年(昭和47年)3月に竣工した3353-3356をもって3300形、ならびに京成赤電の製造が終了し、また同編成は私鉄最後の汽車会社製造車両として貴重な存在でもあったものです。
なお、3351-3352は当初から欠番となっており、その相方ユニットである3349-3350は他の3300形2次車4両と組成され6両編成として運用されていました。
その後の変更点としては、他の赤電各形式と同様、運行番号表示器の大型化が行われています。(イラスト2・7)
また、1980年(昭和55年)前後には2次車の行先種別幕がブルー地の幕に変更されたほか、1980年8月から翌81年12月にかけては1次車・2次車ともにファイアーオレンジ基調の塗色への変更が行われました。(イラスト3・8)
1980年代に入り、京成ではその当時大手私鉄の中で最低だった車両の冷房化率を一気に上げるため、3200形全車の更新工事完了を待たずして、3300形の冷房化単独工事を行うことになり、まず1984年(昭和59年)6月に2次車の3345〜3350より施工され、1986年4月の3337-3340をもって2次車すべての冷房化が完了しています。(イラスト9)

続いて1986年6月からは1次車の冷房化単独工事が行われ、3309-3312をはじめとして、翌87年5月の3301-3304をもって1次車の冷房化が完了しました。
冷房化後の2次車についてはそれほど違和感がなかったものの、1次車に関しては屋根上に冷房装置がありながら種別方向幕がないという、京成の通勤車両では唯一ともいえるそのスタイルが、当時きわめて特異な印象を受けたものです。(イラスト4)
また、1次車・2次車ともに車内側面の化粧板などは経年により古びているにもかかわらず、天井だけが真新しいというのは、どうも不自然でした。
さらに管理人自身はどの編成か未確認ながら、一説によれば3313-3316という話がありますが、黒色Hゴムだった1次車の側扉窓ガラスの支持方式が、片開き扉車と同様の太枠金具押さえ方式に変更されている編成を、冷房化工事と同時期に見かけた記憶があります。
両開き扉の窓に太枠金具押さえ方式が採用されたのは唯一のものだったため、これもまた違和感がありました。
その後1次車については、やはり更新工事よりも前となる1987年(昭和62年)10月から翌88年7月にかけて行先種別幕取付の単独工事も行われたため、前記の特異なスタイルを見れた期間はごくわずかだったと言えるでしょう。(イラスト5)
この行先種別幕取付工事により、前面の貫通扉がステンレス製で、扉の面に対し出っ張りのある種別幕付のものに取り換えられています。
前面の種別表示方式は異なっていたものの、1次車への行先種別幕取付が行われた時点で、1次車と2次車のスタイルがかなり近づく結果になったことは間違いありません。(イラスト5と9)
ちなみに更新前の2次車は、前面上部にある表示幕内でも側面の表示幕と同じく種別と行先が一緒に表示されていたものの、それだけでは小さくてわかりにくいため、前面貫通扉下部でも板方式による種別表示がなされていました。
それは更新前の3150形行先種別幕設置車や3500形でも同様です。
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