
今回は京成赤電3200形の登場時から更新前までについて振り返ってみたいと思います。

京成3200形は、1964年(昭和39年)10月から1967年12月までの間に4両編成24本の計88両が新造されました。
まず、1964年10月〜11月に1次車として3201〜3220が登場しましたが、3150形と比べると側扉が両開きになった点がもっとも大きな変更点となり、扉幅も100mm拡幅されています。
また、それまで丸みを帯びていた前面形状が3平面突き合わせの折妻構造となったほか、運転台床が当初より100mm扛上され、それにともなって前面3枚の窓下辺も100mm上がりました。
さらに前面裾のアンチクライマーも当初から大型3枚歯となっています。(イラスト1)
編成は3150形と変わらず4両固定編成でしたが、上野側2両ユニットのM1とM2が逆配置となり、制御機器とパンタグラフが成田側のユニットとともに中間車装備に揃えられました。
そのほか、駆動装置が2種類ある点も3150形までと変わらないものの、WNカルダン車が履く住友金属製、TDカルダン車が履く汽車会社製ともに、3100形2次車や3150形の空気バネ台車とは形状が大幅に変更されています。
この3201〜3220まではオール電動車、いわゆる8M車である点も3150形までと同じでしたが、同じく1次車として1964年11月に増備された3221-3224においては、試験的に両先頭車の運転台側の台車を付随台車とし、実質3M1T相当のMT比となりましたが、主電動機出力を従来の75kWから100kWに増強したので編成全体としての出力は変わりませんでした。(イラスト2)
この方式はひとつの制御器で6個の主電動機をコントロールしていたことから京成社内では6M車として区別され、そうした理由は編成当たりの主電動機個数を減らして経済性に重点をおいたことのほか、踏切障害事故の際に主電動機への損傷を軽減させる目的もあったとされています。
また、この3221-3224より従来はV型気筒ベルト式だった空気圧縮機がロータリー式に変更されました。
これは身近なところでは京急旧1000形の空気圧縮機と同様の、唸るような独特の音をたてていた記憶があります。
翌1965年11月に2次車として増備された3225〜3240より、6M方式を本格的に採用した量産車となり、その方式は3300形を経て3500形まで踏襲されました。
また、1次車の3221-3224は6M車ながら8M車と同じように主電動機のない先頭台車上の床にも点検蓋がありましたが、2次車以降では先頭台車上の点検蓋はなしとされています。
1966年(昭和41年)9月〜10月にかけて増備された3次車の3241〜3264では、それまで金属製だった屋根上のベンチレーターが台形の形状をしたFRP製のものに変わりました。(イラスト3)
翌1967年11月に増備された4次車の3265〜3280では、3次車までの中間の貫通路がすべて1200mm広幅で引戸もなかったのに対し、ユニット間の連結部を700mm幅の貫通路とし、上野側M2車の成田寄りに片開き式の引戸が設置されましたが、連結器については永久棒連結器のままであったため、相変わらず2両分割が不可能な4両固定編成のままでした。
さらに、この4次車より網棚が従来の網目状からパイプ状のものに変更されたり、空気圧縮機もV型気筒ベルト式に戻されたりしたほか、当初から列車無線を搭載し、ヒーターの強化も行われています。(イラスト4)
その翌月となる1968年12月にも4次車として3291〜3298の4連2本が増備されましたが、この8両は引退した1600形の代替で特急開運号として使用するため、ふたたび3150形までと同じ片開き式の側扉が採用され、車内の各扉間にボックス式の固定クロスシートを設置して登場しました。(イラスト5)
基本的には、1963年(昭和38年)11月に同じく特急開運号向けとして竣工していた3150形3191〜3194に似ていましたが、片開き扉とクロスシート以外は3200形6M車と同一の仕様だったと言えるでしょう。
そのほか、3292と3296の上野寄りにWCと物置が設置されたのに加え、編成中間の連結器を密着自動連結器として、3150形以降の4両編成が基本となった車両としては初めて2両分割が可能となりました。
そのため、3150形特急車と合わせて開運号の6両編成運転も可能となっています。
なお、3295〜3298の4両は京成車両の中で最後の帝国車両製でした。
また、車両番号が3280から3291に飛んだため、3281〜3290は欠番となり存在しません。
なお、この特急車3290番台は3150形3190番台とともに開運号のみならず一般の普通運用にも充当されることがあり、たまたま乗れたときは当時まだ幼少だった管理人もラッキーだと思ったものです。
駅でやってきた普通にちょうど特急車が充当されていて、それに乗ってから東中山で優等列車を退避するので乗り換えたところ、その優等に充当されていたのもまた特急車だったという経験もあります。
その後、更新工事までのおもな改造・変更点としては、まず(1968)昭和43年に1〜3次車の先頭車両に列車無線の取り付けが行われました。
1973年(昭和48年)から翌74年にかけては、特急車3291〜3298のクロスシートのロングシート化や、3292・3296のWCと物置の撤去といった通勤車化改造が行われています。
同時にこの特急車3290番台については3150形までの片開き扉車と同じく、側扉の窓の支持方式が黒色Hゴムから太枠金具押さえ方式に変更されましたが、どういうわけか3293−3294の2両はこの支持方式変更が昭和50年以降と遅れました。
片開き車の支持方式が金具ばかりになる中、3293−3294のHゴムはかなりレアな存在となり、たまたま乗れたときは嬉しかったものです。
そのほか、3200形全車について、昭和40年代中に運行番号表示器の大型化が行われました。(イラスト6)
1980年(昭和55年)になると、他の赤電各形式と同様に3200形もファイアーオレンジ基調の塗色への変更が行われ、同年2月の3277-3288および3295-3298をはじめに、翌81年10月の3253-3256をもって88両全車の変更を完了しています。(イラスト7)
また、1980年代前半には3221-3264が装備していたロータリー式の空気圧縮機が、他車と同じV型気筒ベルト式に交換されました。
なお、更新前の3200形の他形式との混結は、3100形の記事でも述べたように、3200形4連と3100形2連を連結した6両編成が、優等運用でよく見られたものです。
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