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2015年07月03日

京成赤電回顧3100形前編





今回は京成赤電3100形の登場時から更新前までについて振り返ってみたいと思います。

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京成3100形は、1960年(昭和35年)12月の都営地下鉄開業に合わせ、まず1次車として同年11月に3101〜3116の2両固定編成8本16両が新造されました。

この1次車は基本的には前年に登場した3050形とほとんど同じ車両でしたが、前面は大きく変わり、シールドビームの前照灯を上部左右に配置した2灯式となり、尾灯は急行灯と兼用にした角型のタイプのものを下部左右に設置しています。

また、ATSが当初から装備されていたほか、3000・3050形では車掌台側の窓上で独立していた運行番号表示器が窓内におさめられたり、アンチクライマーが若干大型化されたことなどにより、だいぶ近代的な印象になったと言えるでしょう。(イラスト1)

前照灯の位置変更により、当時の関東の大手私鉄車両としては唯一、関西の近鉄や京阪、阪神といった大手私鉄の車両に前面が似る結果となり、とくに車体のカラーも共通していた阪神の赤胴車に酷似したイメージとなりました。

1961年(昭和36年)11月から翌62年2月にかけて、2次車3121〜3136の2両固定編成8本16両が増備されましたが、1次車との最大の変更点は、京成車両としては初めて本格的に空気バネ台車が採用されたことに尽きます。

それにより、同じ形式ながら1次車と2次車とでは乗り心地が大きく異なる結果になりました。

そのほか、2次車では空気圧縮機の変更や2両固定編成の中間部分にある連結器の棒連結器化、さらに車体側面下部の社名表記が「K.D.K.」から「Keisei」に変えられたりしています。

運行番号表示器も1次車より若干大型で、色も白いタイプになりました。(イラスト2)

2次車の空気バネ台車についてはTDカルダンの汽車製造製、WNカルダンの住友金属製ともに、1次車のそれぞれの金属バネ台車の枕バネ部分をそのまま空気バネ化しただけのような形態のスイングハンガータイプでした。

その後1960年代後半から1970年代にかけて、列車無線の取り付け、屋根のモニター通風器のベンチレータータイプへの改造、客用側扉窓ガラスの支持方式を黒色Hゴムから金具枠に改良、室内蛍光灯カバーの撤去が行われたりしたのは3050形までと同様です。

また、1次車・2次車ともに運行番号表示器がさらに大型のものに交換されました。(イラスト3)

なお、1970年に2次車の3121-3122・3123-3124の客用側扉について、ステンレス製で窓が小型のものに交換され、かなり異彩を放っていたと同時に、少数ゆえにとてもカッコよく見えたものです。

金属バネの1次車はもちろん2次車と連結されることはなく、1次車同士を2本、あるいは3本連結した4・6連で運行されることが多く、また3050形を含んだ6連が組まれているのを見たこともあります。

空気バネの2次車は、4両固定の3200形と組んで優等運用のための6連とするのに重宝がられ、それもどういうわけか必ず3200形の上野方に増結されていたことが思い出されますが、趣味的にはこの片開き車と両開き車の混結がたまりませんでした。

片開き扉のほうが開閉時間がやや遅いこともよくわかったものです。

また、前記した小窓の3121-3122や3123-3124と3200形の混結では、扉の数ばかりか窓の上下寸法まで異なっていたので、それほどアンバランスなものはなかったと言えるでしょう。

ただ、3290番台と連結されるケースもあり、その場合だと片開き車で統一されていたのは言うまでもありません。

あと3200形以外の、たとえば3150形や3300形1次車と連結されているのはまったく見たことがなく、とくに3150形とならば片開き車で統一できたというのに、何故3200形のみとの連結にこだわったのか、今思えば謎です。

こういったことから、1次車とは逆に1980年頃までは3100形の2次車同士が組まれた4連や6連をほとんど見た記憶がありませんが、1980年より3100形の更新工事が開始されたこともあり、3200形との混結は翌81年に廃止となったようです。

また、更新前に小窓の3121-3122と3123-3124が連結された4連は確認していますが、この4両が他の3100形2次車と連結されているのは見たことがありません。

1980年(昭和55年)春先からのファイアーオレンジ基調の新赤電色への塗装変更により、3100形は3105-3108・3121-3124・3133-3136が更新工事前に変更されています。(イラスト4)

なお、それまで行商専用車として使用されていた青電の704-2203が1982年(昭和57年)の1月中に廃車になったため、同年2月から1ヶ月ほどのわずかな間ですが、その代替で更新直前の3121-3122が「荷」のHMを付けて行商専用車として使用されました。

2両編成で走行したのはかなり久しぶりだったうえ、それが最後のことにもなり、またその後の行商列車は一般営業車のうちの最後部車両ということにされてしまったので、この3121-3122こそが再期の行商専用車だったと言えるでしょう。

参考までに過去の画像によれば、3121-3122がその行商専用車として使用された際には、未更新ながらファイアーオレンジ基調の塗色に変更されていたり、少なくとも3122側の前面貫通部の埋め込み式幌が更新工事に向けてすでに撤去されていたことがわかります。

登場時からおよそ20年間の変遷は以上となりますが、更新工事以降の3100形についてはまた次回にしたいと思います。
posted by SS at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 京成赤電回顧 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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