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2015年06月19日

京成赤電回顧3050形





今回は京成赤電の3050形について簡単に振り返ってみたいと思います。

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3050形は、3000形と同じく都営地下鉄への乗り入れ用として1959年(昭和34年)9月に新製された車両です。

前年に登場した3000形がトータルで14両だったのに対し、3050形は倍近くの2両固定編成13本26両が製造されました。

形態的には3000形とほぼ同じだったものの、当初から1435mm標準軌の台車を履き、同時期に行われていた1372mm馬車軌から標準軌への改軌工事が完了した区間に順次導入されたとのことです。

また、初めて初代の赤電色が採用された車両でもあり、管理人自身はその当時まだ存在していなかったものの、それ以前には例がなかったきわめて明るい塗色の3050形は、日本初の地下鉄線との相互直通運転開始が間近に控えていたことと合わせて、きっと新生京成を象徴する車両だったに違いありません(イラスト1)。

さらに登場時の3000形にはなかった応荷重装置が当初から装備されたほか、台車も汽車製造会社・住友金属製ともに変更されました。

とくにWNカルダン車が履く住友金属製のFS329系統の台車は、その後の3100形や3300形の金属バネWN車でも採用され、現在でも新京成8000形で見られるものとなっています。

2種類の駆動方式ともに台車の形式が異なる3000形と3050形の乗り心地などの差については今となっては比べようがないものの、形式が変わったということは改良されている可能性も高いので、3050形のほうが振動や揺れ方など若干マシだったのかもしれません。

それから3050形は京成で初めてシールドビームの前照灯が採用されましたが、個人的にはその小型化された前照灯が車体に対して何気に貧弱に感じられ、大型の白熱灯式だった頃の3000形のほうが存在感があり、バランスもよくて好きでした。

その後は3000形と同じくATSや列車無線の取り付け、運行番号表示器の変更のほか、屋根のモニター通風器のベンチレータータイプへの改造などが行われています(イラスト2)。

また、客用側扉窓ガラスの支持方式が黒色Hゴムから金具枠に改良されたり、カバー付の車内蛍光灯が経年により暗くなってしまったため、カバーの撤去が行われたりしたのも3000形と同様でした。

なお、更新前の3050形は基本的に同一形式内で4連や6連を組むことが多かったものの、ときには3000形や3100形1次車と連結されているのをまれに見かけたことがあり、3100形との連結だと前照灯の数や位置が異なるためアンバランスな印象を受けたものです。

1976年(昭和51年)になると、なぜかより古い3000形よりも一足先に3051-3054の4両が更新されました。

更新内容は3000形更新車とまったく同じで、前面はイラスト3のように近代化されています。

1977年に3063-3066の4両が更新されて以降は、翌78年まで3000形の更新工事が集中して行われため、3050形の更新は一旦中断となり、1979年に入ってから再開されました。

1980年(昭和55年)には京成赤電全車についてファィアーオレンジ基調の新赤電色への塗色変更が行われることになったため、同年に入ってから更新された3069-3070および3071-3074の6両は、その新赤電色で出場しています(イラスト4)。

また、他の3050形も翌81年までに全車新赤電色化されました。

なお、2両固定編成だった3050形は更新時に半数の乗務員室を撤去して2両分割可能な4両編成となりましたが、26両を4両で割ると2両が余ることになります。

そこで3075-3076は上野側の乗務員室のみを撤去して2両ユニットとし、同形式の4両編成に連結のうえ6連で運用されていましたが、3000形の一部を更新時に完全な中間車としたように、この半端な3075-3076についても上野側だけではなく成田側の乗務員室も撤去のうえ中間車化して4両編成に組み込めば、中間に乗務員室のない6両編成をさらに増やせたというのに、どうしてそれをやらなかったのか今になってみると謎としか思えません。

更新後、昭和時代の終わりまでに車側灯の2灯化や、車内の吊り手が増設されたりした点も3000形と同様です。

なお、更新後の3000形と3050形が連結される例はめずらしくなかったものの、それ以外の形式と組み合されているのを管理人は見たことがありません。

平成に入ると3050形も冷房化の対象となり、1990年(平成2年)3月に3059-3062から冷房化改造工事が施工されました。

同時に行先・種別幕の設置も行われ、前面上部中央の前照灯部分に行先幕を設置するため新たに前照灯を上部左右に新設するという凝りようで、廃車まであまり時間がない車両に対してこれほどまでの改造を行うとは当時驚いたものです。

冷房化率で他社に遅れをとっていた京成の意地みたいなものが感じられたほか、時代遅れでしかなく確認もしにくかった行先板や種別板も早期に廃止したいところだったのでしょう。

ちなみに前照灯位置の変更により前面が3100形に酷似したスタイルになったものの、3100形よりも若干下の位置に前照灯が取り付けられたため、3100形との識別は容易でした(イラスト5)。

これらの改造により3050形は更新時以上に近代的なスタイルとなりましたが、前記の半端となっていた2両ユニットの3075-3076は1991年(平成3年)3月末に改造工事が行われることなく、3000形全車とともに廃車となっています。

そして、同時期に出場した3067-3070をもって3050形24両の冷房化工事が完了し、この時点で京成の車両冷房化率と行先・種別幕化率100%をめでたく達成しました。

しかし、それからわずか2年後の1993年(平成5年)3月には3051-3054・3063-3066の4連2本が廃車となりました。

京成の通勤冷房車の廃車はこれが初めてのことです。

翌94年1月には、千葉急行電鉄ですでに運用されていた元京急1000形1029編成の代替として3071-3074が、イラスト6のようなブルー基調の塗色に変更のうえ同社にリースされました。

同年10月には改軌工事から35周年を記念し、3050形が同工事の立役者にもなったことから、3059-3062を登場時の赤電塗色にリバイバルのうえ、廃車までそのカラーのまま運用されましたが、その期間は翌95年2月までとあまり長くはありませんでした(イラスト7)。

ちなみに赤電グループがこの塗色にリバイバルされた例は、その後も3200形3298編成や3300形3324編成がありましたが、それらはステンレスの飾り帯が撤去されていたり、前面は腰部に前照灯や尾灯が設置された更新後の形態だっただけに、3050形のリバイバルがもっともリアルだったと思います。

ただ、行先・種別幕があることから、3050形よりも3150形に近い印象でしたが・・・

その3059-3062が廃車された時点で3050形は3067-3070の4連1本と、千葉急行にリースされた3071-3074の合計2本のみとなりましたが、1995年3月末には3067-3070も塗色変更のうえ千葉急行にリースされたため、京成車の3050形は消滅しています。

その後1996年(平成8年)1月に3071-3074が除籍され、同年3月には3067-3070が引退したことにより3050形がついに全廃となり、2010年に新しい3050形が登場するまでのおよそ14年間、京成3050形は形式消滅となっていました。

なお、赤電系列がグレー基調の最終塗色に変更されはじめたのは1993年(平成5年)11月からなので、その時点ではまだ3050形が存在していたことになりますが、結局全車が最終塗色に変更されることなく全廃となっています。
posted by SS at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 京成赤電回顧 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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