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2014年10月24日

母と京成電車

雑記ブログでも取り上げているとおり管理人の母親が今月はじめに亡くなりましたが、今回はそんな母と京成電車との関わりについて簡単にまとめてみたいと思います。

母の父親、すなわち管理人の祖父が京成に勤務していたこともあって、昭和30年代までは京成高砂車庫の敷地内にあった社宅に住んでおり、母の出生地も葛飾区高砂でした。

母が出生した頃の京成といえば、100形や200形、500形といった半鋼製車体の青電が主力だったことになります。

そして母の高校は墨田区内にかつてあった都立向島商業高校だったので、高砂から高校の最寄駅である曳舟まで毎日のように通っていたのは間違いありませんが、それは昭和30年代前半のことになるので、ちょうど赤電が登場した頃だと思います。

その後祖父が千葉県内の京成沿線に自宅を構え、母もそこへ引っ越し、それから数年後に父と結婚して管理人が生まれることになるのですが、当方が幼少期に母に連れられてよく乗ったのは青電や赤電といった車両で、まだ非冷房車ばかりでした。

そこへいきなり登場してきたのがセミステンレスで冷房車の3500形4連4本で、もう乗りたくて乗りたくて仕方がなく、母と駅で長い間待ってみたもののぜんぜん来なくて、結局乗れなかったという苦い記憶もあったりします。

あと初代AEにも登場から間もない頃に両親に乗せてもらいました。

管理人が大人になってからも母と一緒によく京成に乗る機会があったのですが、通勤車は3000形まで、特急車はAE100までで、結局3050形や現行AEに乗せてあげることができなかったのはかなり悔やまれるところです。

とにかくこのように幼少期から母とともに度々乗車してきていろいろな思い出も多い京成の車両達は、管理人にとっていずれの形式もかなり親しみ深いものがあるというものです。

しかしまさか赤電の完全消滅よりも先に母がいなくなってしまうとは思いませんでしたが・・・
posted by SS at 20:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 京成関連テキスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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