
管理人は鉄道車両、とくに通勤型のインテリアに子供の頃から興味があり、いろいろな車両に乗る度に、床から天井にいたるまで注意深く見てきたものですが、座席の袖仕切りにはとくに興味をそそられるものがあります。
昭和時代には、座席の袖部にパイプのみを取りつけたものがほとんどでしたが、そんな中で昭和43年4月に登場した営団6000系1次試作車では板状の袖仕切りが取り付けられ、しかも立っている乗客がよりかかっても座っている乗客との干渉が避けられる大型のタイプでした。(参考画像)
昭和43年という登場年を考えると、その先進性は驚くべきもので、未来の通勤型車両の内装というものを、この時点ですでに見据えていたとしか言いようがありません。
ただしこの1次試作車の袖仕切りは、座っている乗客が肘を掛けるのは難しいタイプでしたが、2次試作車以降ではそれが改められ、やはり袖部に誰も立っていないときは肘を掛けたくなるものなので、個人的にはこのタイプが今現在でも一番理想的な袖仕切りの形状ではないかと考えています。(4次量産車参考画像)
この営団6000系の板状の袖仕切りはあまりにも先進的すぎたのか、その後の7000系、8000系といった営団車両を除き、少なくとも関東では他の会社の車両にも波及することはしばらくなかったと思いますが、それからちょうど10年後の昭和53年12月、京急800形が小型のタイプながら袖仕切りを装備して登場し、とても目新しく感じられたものです。(参考画像)
さらに翌昭和54年に登場した国鉄201系で、京急のものとは形状が異なるものの、同程度の大きさの袖仕切りが装備されました。(参考画像)
これがのちの203系、205系、211系などや他社の車両にも波及していき、一時期の標準タイプとなります。
さらに後年になって平成4年3月に登場したJR209系の試作車である901系あたりから、肘は掛けられないながら立っている乗客と座っている乗客との干渉を完全に避けることのできる大型で薄いタイプの袖仕切りが採用され、これが私鉄等の車両も含めてすっかり現在の主流となっています。



参考までに、京成では3700形で国鉄201系とほぼ同タイプの袖仕切りが初めて採用されましたが、平成3年3月という登場年を考えると、他に比べてかなり遅かったといったところでしょうか。。。
ところで、その京成の昔の車両の資料の中に、とても興味深い画像を見つけました。
クハ20形やモハ200形といった車両の更新前の木造車体、あるいは半鋼製車体時代の車内の画像を見ると、木製ながら板状の袖仕切りが取り付けられているのです!
また、17m級の旧型国電や、静態保存されている東武デハ1形などの車内画像を見ても木製の袖仕切りがあるだけに、大正から昭和初期にかけて登場した大昔の車両では袖仕切りの装備例が多かったのかもしれません。

それを考えると板状の袖仕切りは、一旦はパイプのみの簡易なものになりつつ、材質や形状は異なりながらも復活したとみてもよさそうで、別に営団6000系がそれほど先進的なわけではなかったとも思えるところですが・・・