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2011年11月02日

京成のアルミ車両





1953年(昭和28年)に「特急開運号」専用車両として登場した京成1600形が1968年(昭和43年)に通勤車化改造された際、3両のうちの2両(更新時に1601→1602、1602→1601に改番)が新造によるアルミ車体の中間車に生まれ変わりました。これはおそらく京成がそれまでの普通鋼に代わる車体の採用を検討するための試作的意味合いが大きかったものと思われますが、無塗装のアルミ車体に赤電と同様のステンレス飾りのついた青色の帯を巻いたその姿は、いきなり京成の車両が未来にタイムスリップした印象で、そんな先進的に見える2両のアルミ車が704と2203という旧来からの青電にサンドイッチされたことにより、ひときわ異彩を放つ存在でした。また、車内のカラーについてもそれまでの京成にはなかった斬新なもので、当方の記憶では化粧板が更新前の3500形3517以降で採用されたのと同様のクリームイエロー系、シートはグリーンと、こちらも試作的要素が強かったのではないかと思います。

しかしながらそういった見た目の新しさとは裏腹に、下回りは特急車時代の機器類をほとんどそのまま再利用しているため、吊り掛け式の駆動装置に金属バネ台車と古くさいものでした。またアルミ車体のためか、つい最近引退となったJR203系のような車体剛性の不足感が強く、その証拠として子供だと側窓が引っかかり開閉がほとんど不可能で、大人の力をもってしてもかなり苦労していた記憶があります。

1974年(昭和49年)になると1601を廃車して3両編成化のうえ行商専用車両となったため、一般の乗客として1600形アルミ車にのることができたのはわずか6年間だったわけで、その後は走ってるのを見る度に無性に乗りたくなるにもかかわらず乗れないのが無念で仕方ありませんでしたが、1981年(昭和56年)にはついにその1602も廃車され、同時に京成から吊り掛け駆動方式の営業用車両が消滅したことになります。ただし1602のアルミ車体は廃車後も2000年代後半まで宗吾車両基地内で倉庫として利用され、敷地外からもその姿を見ることができました。

ksf1602cr.jpgksf1602br.jpg

また、1600形でアルミ車体を試した後に登場した新形式車両3500形は結局スキンステンレス車体の採用が決まり、京成でアルミ製の車体が本格採用されたのは2009年(平成21年)に初お目見えした新型AE車で、なんと1600形アルミ車の登場からおよそ41年後のこととなっています。


一方、これはあまり知られていないかもしれませんが、新京成でもアルミ車両が導入されたことがあります。1955年(昭和30年)に8両全車を京成から譲受した14メートル級小型車の300形が新京成で車体新造による更新が行われた際、307がアルミ車体による軽量試作車となりました。完成は300形更新のトップをきって1966年(昭和41年)11月とされているので、京成1600形よりも2年ほど早く、新京成の方が先にアルミ車両を導入したことになります。また、京成1600形と異なっていたのは同じアルミ車体ながら他の新京成車両と同じように全塗装されていたため、外観上での判別は不可能でした。こちらは残念ながら管理人自身乗った記憶がまったくないまま1978年(昭和53年)11月に廃車となっています。それから現在にいたるまで新京成ではアルミ車両の導入実績はありません。
posted by SS at 22:22 | Comment(2) | TrackBack(0) | 京成関連テキスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして、Windyと申します。いつも楽しく貴ブログを拝見しており
ますが、初めてコメントを差し上げたく存じます。
銀色のボディとなった1600形を見て、まず第一に「なんだこの車両は!?」と
いう衝撃を受けた記憶があります。ほぼ全てが赤電や青電といった普通鋼製の
塗装車にあって、ひときわ目立っていたのは紛れもない事実でした。
当時は幼少だったのでその真相はつかめなかったのですが、後にこれら2両が
アルミ車両であることを知ってまた驚きました。
1968年の時点ではアルミ車両自体、全国的にまだ希少な存在でしたね。京成と
しても無塗装の車両へとシフトするにあたり、それを検討するために試作車の
位置づけとして、導入に踏み切ったのだろうと考えられます。既にデビューを
果たしたアルミ車両の中で話題を呼んだのは、国鉄301 系くらいだったので、
その意味では革新的だったといえるでしょう。
その後は地下鉄を中心にアルミ車両を目の当たりにするようになったものの、
京成はステンレス車両に方向を変えました。現在のAE形は高速運転に即した
ため、塗装が施されていても明らかにアルミ車両なのは疑いようがありません
でした。元来特急専用車両だった1600形がアルミ車両となり、その縁が現代に
受け継がれている印象を強く受けます。
新京成にもアルミ車両が存在したことは本文のとおり、あまり知られていない
のが実情です。それもコアなファンでしか判りません。307 がそれに該当した
わけですが、こちらは完全に塗装されていたのでさすがに一目では判断できず
文献に頼るしかありませんでした。ちなみに「全面塗装」のアルミ車両はこの
307 が日本で初めてでした。
アルミ車両全てが「銀色の車両」であるとは限りません。AE形や307 の如く
塗装されたものもあります。ゆえに「普通鋼に思えてもアルミ、もしくはその
逆」という意識も現れるようになりました。
1962年に山陽電鉄2000系で幕を開けた日本のアルミ車両も、来年は節目となる
50年を迎えます。1600形や307 、そしてAE形もこの歴史の1ページにあると
いうわけです。
長文で失礼いたしましたが、私のコメントといたします。



Posted by Windy at 2011年11月03日 13:04
はじめまして!管理人のSSと申します。
いつも当ブログをお楽しみのうえ、このたびはコメントをいただきありがとうございます。

どうやら1600形がまだ走っていた頃のリアル世代の方のようですね。
とにかく当時まだ幼かった子供達にとっては、摩訶不思議な車両としか言いようがなかったと思います。
青電や赤電ばかりの京成にいきなり姿を現した突然変異のような存在だったのではないかと・・・
確かに昭和43年当時というとアルミ車両はまだ数少なかっただけに、たった2両の試作車とはいえ、京成がこんなに早くからアルミ車を導入していたことに今さらながら驚かされます。

さらにもっと驚きなのが1600形よりも導入が早かった新京成の307で、とくに現代でこそアルミ車体に全塗装をする例が大半になったものの、昭和40年代初頭においてすでにそういう発想があったこと自体、本当に革新的なことだったと思います。

いずれにしても走っていた当時はまだかなり幼く、鉄道車両への関心も今ほどではなかったことが悔やまれますね。
当時すでに大人だったらもっと詳しく見たり写真を撮ったり何度も乗車したりしてたのでしょうけど・・・

日本のアルミ車両登場から50年ですか・・・
そういう節目を目前にして、当ブログでちょうど京成のアルミ車両について取り上げることができてよかったと思っているところです。

それではこれからも当ブログをよろしくお願いいたします。
Posted by SS at 2011年11月04日 00:30
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